古代懐疑主義 - ピュロンとアカデメイア派の判断保留

概説

古代懐疑主義(Ancient Skepticism)は、確実な知識の可能性を問い、独断的な主張に対して判断の保留(エポケー)を実践する哲学的伝統である。ヘレニズム哲学の三大学派の一つに数えられ、ストア派エピクロス派と対峙しながら、認識論の根本問題を鋭く掘り下げた。

古代懐疑主義には二つの主要な潮流がある。一つはエリスのピュロンに始まる「ピュロン主義」であり、もう一つはプラトンのアカデメイアにおいてアルケシラオスやカルネアデスが展開した「アカデメイア派懐疑主義」である。両者はともに独断論(ドグマティズム)を批判するが、その方法と立場にはいくつかの重要な違いが存在する。

ピュロン — 懐疑主義の始祖

エリスのピュロン(紀元前360年頃 - 紀元前270年頃)は、古代懐疑主義の始祖とされる人物である。画家として出発した後、デモクリトス派の哲学者アナクサルコスに師事し、アレクサンドロス大王の東方遠征に同行してインドのギムノソフィスト(裸形の行者)と交流したとも伝えられる。この東方体験が、文化や慣習の相対性への認識を深め、懐疑的な態度の形成に影響を与えたと推測されている。

ピュロン自身は著作を残さず、その思想は弟子のティモンの著作を通じて伝えられている。ピュロンの教えの核心は、次の三つの問いにまとめられる。第一に、物事の本性はいかなるものか。第二に、物事に対してわれわれはいかなる態度をとるべきか。第三に、その態度をとった結果はいかなるものか。ピュロンの答えは次の通りである。物事の本性は知り得ない(不可知)。したがってわれわれは判断を保留すべきである(エポケー)。その結果として魂の平静(アタラクシア)が得られる。

ピュロンの生き方は、この懐疑的態度を徹底して実践するものであったとされる。彼は何事に対しても動じることなく、穏やかな平静を保ったと伝えられている。ただし、崖から落ちそうになっても無関心であったといった誇張された逸話は、後世の風刺的な伝承である可能性が高い。

アカデメイア派懐疑主義

プラトンのアカデメイアは、紀元前3世紀にアルケシラオスが学頭となって以降、懐疑的な方向へと大きく転換した。この「新アカデメイア」は、プラトンの対話篇におけるソクラテスの問答法——確定的な教説を主張するのではなく、対話を通じて相手の無知を明らかにする方法——を懐疑主義の先駆として解釈した。

アルケシラオス(紀元前316年頃 - 紀元前241年頃)は、ストア派のゼノンが提唱した「把握的印象(カタレプティケー・ファンタシア)」の概念を集中的に攻撃した。ストア派は、把握的印象は実在する対象から生じてその性質を正確に写し取るため知識の確実な基礎となると主張したが、アルケシラオスは、真の印象と偽の印象を区別する確実な基準は存在しないと論じた。夢や幻覚における印象も、目覚めた状態の印象と同じほどの鮮明さを持ちうるからである。

カルネアデス(紀元前214年頃 - 紀元前129年頃)は、アカデメイア派懐疑主義の最も卓越した論客であり、ストア派の認識論・神学・倫理学に対して体系的な批判を展開した。紀元前155年にアテナイの使節としてローマを訪問した際、ある日は正義を擁護する演説を行い、翌日にはまったく反対の立場から正義を論駁する演説を行って、ローマの聴衆を驚嘆させたという逸話は有名である。

カルネアデスは、確実な知識は得られないとしつつも、実践的な行為の指針として「蓋然的(ピタノン)印象」の概念を導入した。ある印象が真であるかどうかは確実には判断できないが、蓋然性の高い印象、すなわち一見して信頼できそうな印象に基づいて行為することは可能であるとした。この蓋然的認識の理論は、完全な判断保留と日常的行為の両立を可能にするものであった。

新ピュロン主義の復興

紀元前1世紀、アカデメイア派がアンティオコスのもとで独断的な方向に転じると、アイネシデモスがピュロンの懐疑主義を復興した。アイネシデモスは、判断保留の根拠として「十のトロポイ(方式)」と呼ばれる議論の型を体系化した。これらは、同じ対象に対して異なる印象が生じることを示す十種の論証であり、以下のようなものを含む。

  1. 動物の種類によって知覚が異なる
  2. 人間の個人差によって知覚が異なる
  3. 感覚器官の違いによって同じ対象が異なって現れる
  4. 知覚する者の状態(健康・病気、覚醒・睡眠など)によって印象が異なる
  5. 位置・距離・場所によって対象の見え方が異なる

これらの論証は、われわれの知覚が常に相対的であり、対象そのものの本性を直接に把握することはできないことを示している。

セクストゥス・エンペイリコス

セクストゥス・エンペイリコス(紀元後160年頃 - 紀元後210年頃)は、古代懐疑主義の最も重要な著述家であり、その著作『ピュロン主義哲学の概要』と『学者たちへの論駁』は、古代懐疑主義の教説を最も体系的に伝える文献である。

セクストゥスは、懐疑主義者を「探究し続ける者」として定義した。懐疑主義者は真理を発見したとも、真理は発見不可能であるとも主張しない。ただ探究を続けるのである。独断論者が真理を発見したと主張し、アカデメイア派が真理は発見不可能であると主張するのに対し、ピュロン主義者は判断を保留し、探究を持続する。

セクストゥスは、あらゆる独断的主張に対して等しい重みを持つ反対論証を対置する「等力(イソステネイア)」の方法を用いた。あらゆる命題Pに対して、Pを否定する等しく説得力のある論証が提出されうるとき、われわれはPについて判断を保留せざるを得ない。そしてこの判断保留によって、偶然にも(期せずして)魂の平静が訪れるのである。セクストゥスはこれを、画家アペレスが馬の泡の表現に苦心したあげく絵筆を投げつけたところ、偶然にも泡が見事に表現されたという逸話に喩えている。

懐疑主義と日常生活

懐疑主義者はいかにして日常生活を送るのかという問題は、古来、独断論者から繰り返し提起されてきた批判である。判断を完全に保留するならば、行為も不可能になるのではないか。

セクストゥスは、懐疑主義者は四つの指針に従って日常生活を営むと答えた。第一は「自然の導き」(感覚や思考の自然的な機能に従うこと)、第二は「感情の強制」(空腹や渇きに応じて行動すること)、第三は「法と慣習の伝統」(社会の慣行に従うこと)、第四は「技術の教え」(専門的技術を実践すること)である。懐疑主義者は独断的な理論的信念を持たないが、現象(ファイノメノン)に基づいて行為することは可能であるとした。

後世への影響

古代懐疑主義は、西洋哲学の認識論的伝統に根本的な影響を与えた。セクストゥス・エンペイリコスの著作は、15世紀にラテン語に翻訳されてルネサンスの知識人に広く読まれ、近代哲学の形成に決定的な役割を果たした。デカルトの方法的懐疑はピュロン主義的議論への応答として理解され、ヒュームの経験論的懐疑主義もセクストゥスの影響を受けている。モンテーニュの『エセー』における懐疑的態度も、セクストゥスの著作の直接的な影響のもとに形成されたものである。

現代の認識論においても、知識の基礎づけの問題、懐疑論への応答、反省的平衡の方法など、古代懐疑主義が提起した問題群は哲学的議論の中心に位置し続けている。

関連項目