気候変動と世代間倫理 — まだ生まれぬ者への責任

はじめに — 未来の人々に対する義務は存在するか

気候変動は、従来の倫理学の枠組みを根本から揺さぶる問題です。なぜなら、被害を最も深刻に受けるのはまだ存在しない人々 — 将来世代だからです。

伝統的な倫理学は、いま現在存在する人々のあいだの権利と義務を扱ってきました。しかし、気候変動がもたらす問いはこうです。まだ生まれていない人々に対して、私たちは道徳的責任を負うのか。

ヨナスの責任原理

ハンス・ヨナスは1979年の『責任という原理』において、テクノロジーの発達が伝統的倫理の射程を超えたと論じました。ヨナスの定式はこうです。

汝の行為の結果が、地上における真に人間的な生活の持続と両立するように行為せよ。

これはカントの定言命法を未来へ拡張したものと読めます。カントが「普遍化可能性」を道徳の基準としたのに対し、ヨナスは**「持続可能性」**を基準に据えたのです。

ヨナスが特に強調したのは**「恐怖のヒューリスティクス」**です。未来の善い結果の予測よりも、悪い結果の予測を優先せよ。つまり、最悪のシナリオを真剣に受け止め、それを回避するために行動することが、テクノロジー時代の倫理的義務だということです。

ロールズの「無知のヴェール」と世代間正義

ジョン・ロールズの正義論もまた、世代間倫理に重要な示唆を与えます。ロールズの思考実験「無知のヴェール」 — 自分がどの立場に生まれるか分からない状態で社会のルールを決める — を世代間に拡張するとどうなるでしょうか。

自分が2026年に生まれるか、2126年に生まれるか分からない状態で、気候政策を決めるとしたら。合理的な人間ならば、将来世代が致命的な不利益を被るような政策には同意しないはずです。

ただし、ロールズ自身は世代間問題に慎重でした。世代間の「互恵性」が成り立たないためです。将来世代は現在世代に何も返せない。それでも義務は存在するのか — これが世代間倫理の核心的な難問です。

割引率という哲学的問題

経済学では、将来の価値を現在価値に換算する際に「割引率」を用います。年3%で割り引くと、100年後の1万円はいま約50円の価値しかありません。

この割引率の設定は、一見すると技術的な問題ですが、実は深い哲学的含意を持ちます。高い割引率は「将来世代の利益は現在世代より価値が低い」と暗黙に宣言しているのです。

功利主義の立場からは、すべての世代の利益を平等に扱うべきだという主張がありえます。しかしそうすると、現在世代は未来のために極端な犠牲を強いられることになりかねません。

「非同一性問題」のパラドクス

哲学者デレク・パーフィットが提起した非同一性問題は、世代間倫理をさらに複雑にします。現在の環境政策を変えれば、将来生まれてくる人間そのものが変わります。つまり、ある政策によって「被害を受ける」とされる将来世代の人々は、その政策がなければそもそも存在しなかったのです。

存在しない人々を「害した」と言えるのか — この問いは直感に反しますが、論理的には非常に手強い問題です。

おわりに

気候変動は、哲学が机上の空論ではないことを証明する最も強力な事例のひとつです。世代間倫理の問題は、ヨナスの責任論、ロールズの正義論、パーフィットの同一性論など、複数の哲学的伝統が交差する場所に位置しています。

私たちがいま下す決定は、顔も名前も知らない未来の人々の運命を左右します。その重みを引き受ける哲学的基盤を築くことは、気候変動対策の技術的側面と同じくらい重要な課題です。

技術文明の約束が脅威に転じたとき、倫理は自然の番人にならなければならない。 — ヨナス