SNSは承認欲求を加速させたのか — ヘーゲルの承認論から読み解くデジタル時代の自己
はじめに — 「いいね」の数が気になる理由
Instagramに写真を投稿した直後、何度もアプリを開いて「いいね」の数を確認する。Twitterで渾身のツイートに反応がなければ落胆し、バズれば高揚する。この行動パターンは、私たちの多くが身に覚えのあるものでしょう。
「承認欲求」という言葉は、しばしばネガティブなニュアンスで使われます。「承認欲求が強い」は批判的な表現であり、承認を求めること自体が未熟さの証とされがちです。しかし哲学は、承認欲求をまったく異なる光のもとに置きます。承認を求めることは人間存在の本質的な構成要素であり、自己意識の成立にとって不可欠な契機なのです。
問題は、承認欲求そのものではなく、SNSがその構造を根本的に変容させていることにあります。
ヘーゲルの承認論 — 自己意識は他者を必要とする
ヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が成立するためには他者による承認が不可欠であることを論証しました。有名な「主人と奴隷の弁証法」は、二つの自己意識が出会い、互いに承認を求めて「命がけの闘争」を繰り広げる場面から始まります。
ヘーゲルによれば、私は自分だけでは自己を確立できません。他者が私を承認し、私が他者を承認するという相互的なプロセスを通じてはじめて、自己意識は真の意味で成立するのです。つまり、他者からの承認を求めること自体は、人間の自己意識にとって構造的に必要なものなのです。
相互承認の理想
ヘーゲルの弁証法が目指すのは、一方的な支配と服従の関係ではなく、相互承認です。主人と奴隷の不均等な関係は、弁証法的な発展を経て、互いが対等な人格として認め合う関係へと止揚されます。
SNSにおける承認の構造を考えるとき、この「相互性」の観点が決定的に重要になります。
SNSにおける承認の構造的変質
ヘーゲルが想定した承認は、具体的な他者との対面的な関係のなかで生じるものでした。しかしSNSは、承認の構造を少なくとも三つの点で根本的に変えています。
第一に、承認の数値化
「いいね」の数、フォロワー数、リツイート数。SNSは承認を定量的な指標に変換しました。ヘーゲルの相互承認は質的な関係性でしたが、SNSにおける承認は数値として比較可能になっています。
この数値化は、承認の意味を希薄にします。100個の「いいね」は、100人の具体的な他者が私を人格として認めたことを意味するでしょうか。それとも、100回のスワイプ動作の集積にすぎないのでしょうか。
第二に、承認の非対称性
SNSにおける承認は、しばしば一方的です。インフルエンサーは何万もの「承認」を受け取りますが、フォロワーひとりひとりを承認し返すことはありません。これはヘーゲルの「主人と奴隷」の関係に似ていますが、奴隷が主人に反抗して弁証法的な発展を遂げる契機が構造的に存在しない点で、より深刻です。
第三に、承認の即時性と中毒性
対面的な承認は時間をかけて深まるものですが、SNSの承認は即座に届きます。この即時性は、心理学者が指摘する間欠強化のメカニズムと結びつきます。投稿するたびに不確実な「報酬」が返ってくるこの構造は、スロットマシンと同じ原理で脳の報酬系を刺激するのです。
ルソーの自尊心批判 — amour-propre の暴走
ルソーは、人間の自然な自己愛(amour de soi)と、社会的な比較から生じる自尊心(amour-propre)を区別しました。自然状態の人間は、自分の生存を気遣う穏やかな自己愛を持つだけでした。しかし社会が形成されると、他者との比較に基づく自尊心が発生し、人間を競争的で不幸な存在に変えてしまいます。
SNSは、ルソーが危惧したamour-propre を極限まで加速させる装置です。他者の「映える」生活を常に目にし、自分と比較し、より多くの承認を求めて自己を演出する。ルソーが18世紀のパリの社交界に見た虚栄と比較のメカニズムは、Instagramのフィードのなかで再現されています。
ホネットの承認論 — 三つの承認の領域
フランクフルト学派の哲学者アクセル・ホネットは、ヘーゲルの承認論を現代的に再構成し、承認の三つの領域を区別しました。
- 愛の承認 — 親密な関係における感情的な承認(自己信頼の基盤)
- 法的承認 — 権利を持つ主体としての承認(自己尊重の基盤)
- 社会的評価 — 共同体への貢献に基づく承認(自己評価の基盤)
SNSが提供するのは、主に第三の領域の承認の模擬です。しかし、「いいね」による社会的評価は、ホネットが想定した共同体への具体的な貢献とは切り離されています。自分が何を為したかではなく、何を見せたかが評価の基準になるのです。
さらに深刻なのは、SNSにおける承認の不安定さが、第一の領域(愛の承認)にまで波及することです。パートナーのSNS上の行動に嫉妬し、親密な関係が「いいね」の数によって脅かされるという事態は、承認の領域間の汚染と呼べるでしょう。
承認の病理を超えて
では、SNS時代における健全な承認のあり方とは何でしょうか。倫理学と政治哲学の知見を統合すると、いくつかの方向性が見えてきます。
第一に、承認の源泉を多元化すること。 SNSだけに承認を求めるのではなく、対面的な関係、職業的な達成、市民としての活動など、多様な領域で承認を得られる環境を意識的に構築することが重要です。
第二に、承認の質を問うこと。 数百の匿名の「いいね」と、信頼する一人の友人からの真摯なフィードバック。どちらがより深い承認でしょうか。ヘーゲルの相互承認の理念に照らせば、答えは明らかです。
第三に、自己承認の能力を培うこと。 ストア派の哲学者たちが説いたように、外的な評価に依存しない内的な充足を見出す能力は、SNS時代においてこそ切実に必要とされています。
おわりに — 承認の弁証法
ヘーゲルの弁証法は、矛盾を通じた発展を説きます。SNSによる承認の歪みは、まさに私たちが直面する矛盾です。しかし、この矛盾を自覚し、哲学的に反省することで、より成熟した承認のあり方へと止揚する道が開けるかもしれません。
「いいね」を求めること自体は恥ずべきことではありません。それは人間が他者を必要とする社会的存在であることの証です。しかし、その欲求がどこから来て、どのように構造化されているかを批判的に問うことは、デジタル時代を生きる私たちに課された哲学的課題なのです。
自己意識は、他の自己意識に対して存在する場合にのみ存在する。 — ヘーゲル