監視社会とフーコー — スマートフォンが作るパノプティコン

はじめに — 見えない監視塔

ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』(1975年)において、ジェレミー・ベンサムが構想した**パノプティコン(一望監視施設)**を近代権力の隠喩として分析しました。円形の建物の中央に監視塔を置き、囚人は常に「見られているかもしれない」という意識のなかで自らを律する。重要なのは、実際に監視されているかどうかではなく、監視されうるという状態そのものです。

2020年代の私たちは、このパノプティコンをポケットに入れて持ち歩いています。

スマートフォンという監視装置

スマートフォンは、フーコーが分析した監視のメカニズムを、かつてない規模で実現しました。

  • 位置情報 — 常時追跡される移動履歴
  • 検索履歴 — 思考と関心の記録
  • SNS投稿 — 人間関係と感情の可視化
  • 生体データ — スマートウォッチが収集する身体の情報

フーコーのパノプティコンでは、監視者は中央の塔にいました。しかし現代の監視は分散的です。Google、Meta、Apple、通信会社、政府機関 — 複数の主体が異なる角度から私たちを見ています。

規律権力から生権力へ

フーコーは後期の仕事で、権力の形態を規律権力から**生権力(バイオポリティクス)**へと分析の幅を広げました。生権力とは、人口全体の健康・出生率・寿命などを管理・最適化する権力です。

COVID-19パンデミック下の接触確認アプリは、この生権力の典型例です。感染拡大を防ぐという「善意の目的」のために、個人の行動を追跡するシステムが正当化される。フーコーが示したのは、権力は必ずしも抑圧的な形をとらないということです。むしろ、「あなたの健康のために」「社会の安全のために」という配慮の言葉をまとった権力こそが、最も浸透しやすいのです。

自発的な服従 — セルフ・サーベイランス

パノプティコンの本質は、外部からの監視が内面化されることにあります。現代において、この内面化は新たな段階に入っています。

私たちは自発的に自分のデータを提供しています。Instagramに日常を投稿し、Fitbitで健康データを共有し、GoogleマップにレビューをL残す。フーコーの時代には想像もできなかったこと — 被監視者が喜んで自らを監視に差し出す — が現実になっています。

これは「自由な選択」でしょうか。フーコーならば、「自由」そのものが権力によって構成されていると指摘するでしょう。「シェアしたい」という欲望は自然に生まれたものではなく、プラットフォームの設計によって巧みに誘導されたものなのです。

抵抗の可能性

フーコーは権力の分析者であると同時に、抵抗の思想家でもありました。権力があるところには必ず抵抗がある、と彼は述べています。

デジタル監視に対する抵抗の形は多様です。

  1. 暗号化とプライバシーツール — 技術的な対抗手段
  2. データ権利運動 — GDPRなどの法的枠組み
  3. デジタルミニマリズム — 自発的なデータ提供を減らす生活実践
  4. 監視の可視化 — 自分がどれだけ監視されているかを意識する教育

おわりに

フーコーの監視論は、テクノロジーが進化しても色あせるどころか、ますますその鋭さを増しています。重要なのは、「監視社会は悪だ」という単純な結論ではなく、権力がどのように作動し、私たちの行動をどう形成しているかを分析する視点を持つことです。

ポケットのなかのパノプティコンと、私たちはどう共存していくのか。この問いに向き合うことは、フーコーが生涯をかけて追求した「自由の実践」の現代版にほかなりません。

権力は至る所にある。それは全てを包み込むからではなく、至る所から生じるからである。 — フーコー