デリダ - 脱構築によって西洋形而上学を問い直した哲学者

生涯

ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)は、フランス領アルジェリアのエル・ビアールに、ユダヤ系フランス人の家庭に生まれた。少年時代にヴィシー政権下の反ユダヤ主義を経験したことは、後の「周縁」への感受性に影響を与えたとされる。1949年にパリに渡り、高等師範学校に入学。フッサールの現象学を中心に研究を開始した。

1967年に『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『声と現象』の三著を同時に発表し、哲学界に衝撃を与えた。以後、高等師範学校や社会科学高等研究院で教鞭を執りながら、膨大な著作活動を展開した。1980年代以降はアメリカでも活発に活動し、特にイェール大学を中心に「脱構築批評」が展開された。哲学・文学批評のみならず、法学・建築・政治思想にまで及ぶ脱構築の射程は、20世紀後半の人文学に広範な影響を与えた。2004年にパリで没した。

ロゴス中心主義批判

デリダの思想の出発点は、西洋の形而上学的伝統全体に対する批判的検討にある。デリダはこの伝統を「ロゴス中心主義(logocentrisme)」あるいは「現前の形而上学(métaphysique de la présence)」と名づけた。プラトンからフッサールに至る西洋哲学は、意味の完全な現前――自己に対して完全に透明な意識において意味が充実的に与えられる瞬間――を究極的な理想として追求してきた。

この現前の特権化は、音声(パロール)と文字(エクリチュール)の序列関係に典型的に現れる。プラトンの『パイドロス』では、文字は「生きた言葉」の不完全な代替物として貶められている。ルソーもまた文字を話し言葉の堕落形態と見なした。デリダはこの「音声中心主義(phonocentrisme)」が、話し手の意味する内容が音声を通じて直接的に伝達されるという現前の幻想に基づくことを暴露する。

差延

「差延(différance)」は、デリダの思想において最も核心的な概念(あるいは「概念ならざるもの」)である。フランス語の動詞 différer は「異なる(to differ)」と「遅延する(to defer)」の二重の意味を持つ。デリダはこの二重性を造語 différance に結晶させた。この語は通常の différence と発音が同一であり、その差異は文字(エクリチュール)においてのみ現れる。この事実自体が、音声の優位に対する皮肉な挑戦となっている。

差延の概念は、意味が差異の体系の中で構成されると同時に、つねに先送りされ、完全な現前に至ることがないことを表現する。ソシュールは言語を差異の体系として捉えたが、なおも体系の共時的な全体性を想定していた。デリダはこの全体性を解体し、意味の産出は差異の無限の戯れの中で絶えず遅延されると論じた。差延はいかなる概念の下にも回収されず、存在と不在、現前と不在の対立に先立つ「原―痕跡(archi-trace)」として作動する。

エクリチュールと痕跡

デリダは、エクリチュール(écriture、書字・文字)の概念を根本的に拡張する。デリダの言うエクリチュールは、ペンとインクによる物理的な書字に限定されず、意味の産出を可能にする差異の構造そのものを指す。「原エクリチュール(archi-écriture)」は、話し言葉を含むあらゆる意味作用に先立って作動する差異化の運動である。

この観点から、音声言語は文字に先立つ根源的なものではなく、それ自体がすでにエクリチュール的な構造を持つ。あらゆる記号は「反復可能性(itérabilité)」を本質的に備えており、発話の元々の文脈から切り離されて別の文脈に接ぎ木されうる。この反復可能性は、意味の同一性を保証すると同時に変質させ、意味の完全な統御を不可能にする。

脱構築の実践

脱構築(déconstruction)は、テクストを外部から破壊する方法ではなく、テクストが自らの内部に抱える矛盾や緊張を丁寧に辿ることにより、テクストの自己解体の運動を追跡する読解の実践である。デリダは形而上学の伝統的テクスト――プラトン、アリストテレス、ルソー、ヘーゲル、フッサール、ハイデガー――を精緻に読み解き、それらのテクストが依拠する二項対立(自然/文化、音声/文字、内部/外部、本質/偶有等)が、テクスト自身の論理によっていかに揺さぶられるかを示した。

重要なのは、脱構築が単なる「破壊」や「否定」ではないということである。脱構築は二項対立を転覆した上で、対立の構図そのものを移動させ、それによって新たな思考の可能性を開く「二重の身振り」として遂行される。

後期の倫理的・政治的転回

1980年代以降、デリダの思想はより明確に倫理的・政治的な主題に向かった。レヴィナスの他者論との対話を通じて、デリダは脱構築が「正義」への応答であることを論じた。「法は脱構築可能であるが、正義は脱構築不可能である」という命題は、法の制度的限界と正義の無条件的要請との間の緊張関係を表現している。

「歓待(hospitalité)」の思想では、無条件の歓待――来るべき他者を無条件に迎え入れること――と条件付きの歓待(法的制度としての移民政策など)との不可避的なアポリアを論じた。「来たるべきもの(à venir)」としての民主主義の概念は、民主主義がつねに到来しつつある約束として、現在の政治的秩序を超え出る契機を含むことを示す。これらの後期の仕事は、脱構築が単なるテクスト分析の手法ではなく、倫理学的・政治的な射程を持つ思想であることを明らかにした。

関連項目