実存主義 - 自由と責任をめぐる現代哲学の潮流

概要

実存主義(Existentialism)は、20世紀に隆盛を極めた哲学的潮流であり、抽象的な体系や普遍的本質ではなく、具体的に生きる個人の実存(existence)を哲学の出発点とする立場である。人間は予め定められた本質を持たず、自らの選択と行為によって自己を形成していくという根本的な洞察が、この思想の核心をなす。実存主義の思想的源泉は、19世紀のキルケゴールニーチェにまで遡るが、20世紀において体系的な哲学運動として結実したのは、二度の世界大戦を経験した時代的背景と深く結びついている。

思想的源泉

実存主義の先駆者として最も重要な人物は、デンマークの哲学者キルケゴールである。キルケゴールはヘーゲルの壮大な体系哲学に対して、単独者としての個人の主体的な決断と信仰の意義を強調した。「あれかこれか」の選択に直面する具体的な個人こそが哲学の主題であるべきだという彼の主張は、実存主義の基本的な方向性を規定した。

同時代のニーチェは「神は死んだ」と宣言し、伝統的な形而上学と道徳の基盤が失われた時代における価値創造の問題を提起した。超人思想と永劫回帰の思想は、既成の価値体系に依拠せずに自己を肯定する生の可能性を示し、後の実存主義者たちに深い影響を与えた。

サルトルの実存主義

ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)は、実存主義を体系的な哲学として確立した最も影響力のある思想家である。主著『存在と無』(1943年)において、サルトルは人間の意識を「対自存在(pour-soi)」として規定し、物のような固定的な「即自存在(en-soi)」とは根本的に異なるものとした。意識は常に自己を超越し、未来の可能性に向かって投企する自由な存在である。

サルトルの有名な命題「実存は本質に先立つ」は、人間には予め決定された本質や目的がなく、まず世界に投げ出された上で、自らの選択を通じて自己の本質を形成していくことを意味する。この絶対的な自由は同時に絶対的な責任を伴い、人間は自己の選択に対して全面的に責任を負わなければならない。自由の重荷から逃れようとする態度をサルトルは「自己欺瞞(mauvaise foi)」と呼んで批判した。

ボーヴォワールのフェミニズム的実存主義

シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908-1986)は、サルトルの実存主義を女性の状況に適用し、フェミニズム哲学の金字塔となる『第二の性』(1949年)を著した。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な命題は、女性の従属的地位が生物学的必然ではなく、社会的・文化的に構築されたものであることを明らかにした。ボーヴォワールは、女性が「他者」として定義され、男性の主体性に対する客体として扱われてきた歴史を分析し、女性の自由と解放の哲学的根拠を実存主義の枠組みから提示した。

カミュと不条理の哲学

アルベール・カミュ(1913-1960)は、厳密には実存主義者を自称しなかったが、不条理(absurde)の概念を通じて実存主義的な問いを独自の仕方で追究した。『シーシュポスの神話』(1942年)において、カミュは人間の意味への欲求と世界の沈黙との間の不可解な乖離を「不条理」と名づけた。不条理に直面して自殺するのではなく、シーシュポスのように意味のない労苦をあえて引き受け続けることが、不条理に対する反抗であり、人間の尊厳の表現であるとカミュは主張した。

小説『異邦人』(1942年)と『ペスト』(1947年)においても、不条理な世界の中で誠実に生きる人間の姿が描かれている。カミュは後に『反抗的人間』(1951年)で政治的暴力を批判し、サルトルとの思想的決裂に至った。

ヤスパースと限界状況

カール・ヤスパース(1883-1969)は、ドイツ実存哲学の重要な代表者である。ヤスパースは「限界状況(Grenzsituation)」の概念を提起し、死・苦悩・闘争・罪責といった人間存在の根本的な限界に直面するとき、日常的な安穏が打ち砕かれ、本来的な実存が覚醒すると論じた。限界状況の経験を通じて、人間は超越者(Transzendenz)との関係に開かれ、哲学的信仰に至る可能性を得る。この点でヤスパースは、キルケゴールの宗教的実存主義の系譜に連なるものといえる。

実存主義の影響と展開

実存主義は、第二次世界大戦後のフランスを中心に、哲学のみならず文学・演劇・芸術・政治思想に広範な影響を与えた。サルトルのアンガジュマン(社会参加)の思想は、知識人の政治的責任を問い、植民地解放運動や反戦運動にも理論的基盤を提供した。メルロ=ポンティの身体論は現象学と実存主義を架橋し、知覚と身体の哲学を深化させた。

実存主義は1960年代以降、構造主義やポスト構造主義の台頭とともに哲学の最前線からは退いたが、その根本的な問い――自由とは何か、責任とは何か、人間はいかに生きるべきか――は現代の倫理学や人間論において依然として重要な意義を持ち続けている。

関連項目