ハイデガー - 存在の意味を問うた20世紀最大の哲学者

生涯

マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)は、ドイツ南西部バーデン地方のメスキルヒに生まれた。カトリック神学を学んだ後、哲学に転じ、フッサールの現象学に決定的な影響を受けた。1927年に主著『存在と時間(Sein und Zeit)』を発表し、哲学界に衝撃を与えた。1928年にフッサールの後任としてフライブルク大学正教授に就任した。

1933年にフライブルク大学学長に就任し、国家社会主義(ナチズム)への加担が問題となった。戦後、非ナチ化裁判を経て一時教壇から退いたが、1950年代以降は再び活発に講義・著述活動を行った。ナチズムとの関係は、ハイデガー哲学の評価をめぐる最も論争的な問題の一つであり続けている。1976年、フライブルク近郊で没した。

存在への問い

ハイデガー哲学の根本的な課題は「存在の意味への問い(Seinsfrage)」である。西洋哲学はプラトン以来、存在者(Seiendes)――すなわち存在するもの――については多くを語ってきたが、存在者を存在者たらしめる「存在そのもの(Sein)」の意味については問いを忘却してきたとハイデガーは指摘する。この「存在忘却(Seinsvergessenheit)」を克服し、存在の意味を改めて問い直すことが、ハイデガーの哲学的営為の出発点であった。

存在への問いを遂行するにあたり、ハイデガーは独特の方法論を採用した。存在の意味を問う存在者、すなわち人間を「現存在(Dasein)」と名づけ、この現存在の存在構造を分析することを通じて、存在一般の意味に接近しようとしたのである。

『存在と時間』の現存在分析

『存在と時間』における現存在分析は、人間の存在様態を「世界内存在(In-der-Welt-sein)」として記述することから始まる。現存在は、孤立した主観として世界の外にあるのではなく、つねにすでに世界の内に存在し、道具的連関の全体性の中で事物と関わっている。ハンマーで釘を打つとき、我々はハンマーを対象として観察するのではなく、それを「手許にあるもの(Zuhandenes)」として使用する。このような道具的存在了解が、理論的な対象認識に先立つ根源的な世界関係であるとハイデガーは論じた。

現存在は同時に「共存在(Mitsein)」でもあり、つねに他者と共に存在する。しかし日常的な共存在において、現存在はしばしば「世人(das Man)」に没入し、「ひと」がそうするように考え、語り、行動する非本来的な存在様態に陥る。世人への没入は、好奇心・曖昧性・おしゃべりといった日常性の諸様態に現れる。

死への存在と本来性

現存在の存在構造の核心に位置するのが「死への存在(Sein zum Tode)」の分析である。死は現存在の最も固有な可能性であり、他の誰にも代わってもらえない、確実であるが時期は不確定な、究極的な可能性である。日常的な世人は死を「いつか来るもの」として隠蔽し、逃避する。しかし、死の可能性に対して先駆的に覚悟することにより、現存在は世人の支配から解放され、本来的な自己存在を取り戻す。

この本来的決意性の構造において、現存在は過去(被投性)・現在(頽落)・未来(投企)という時間性の統一として自己を了解する。ハイデガーは、この根源的な時間性(Zeitlichkeit)こそが現存在の存在の意味であると論じた。存在と時間の内在的連関を解明することが、『存在と時間』の究極的な目標であったが、計画された後半部は未完に終わった。

転回と後期思想

1930年代以降、ハイデガーの思想には「転回(Kehre)」と呼ばれる変化が生じた。前期の現存在分析が人間の側から存在の意味に接近しようとしたのに対し、後期の思想は存在そのものが自らを開示する出来事(Ereignis)に着目する。ハイデガーはニーチェの形而上学を西洋形而上学の完成として解釈し、形而上学の歴史全体を「存在の歴運(Seinsgeschick)」として捉え直した。

後期ハイデガーの重要な主題の一つが技術論である。論文「技術への問い」(1953年)において、ハイデガーは近代技術の本質を「総かり立て体制(Ge-stell)」として規定した。近代技術は自然を徴発可能な資源として立てる(stellen)ことにより、存在者の存在を「用象(Bestand)」に還元する。この技術的な存在了解の支配のもとで、存在の真理は隠蔽される。しかしハイデガーはヘルダーリンの詩句「危険のあるところ、救うものもまた育つ」を引きながら、技術の本質への省察の内に救済の可能性を見出した。

言語と芸術

後期ハイデガーは言語と芸術の問題を集中的に論じた。「言語は存在の家である」という有名な命題に示されるように、ハイデガーにとって言語は人間が操る単なる伝達手段ではなく、存在が自らを開示する場である。詩的言語は、日常言語の摩滅した意味を超えて、存在の真理を語り出す特権的な位相を持つ。ヘルダーリン、リルケ、トラークルらの詩の解釈を通じて、ハイデガーは詩と思索の本質的な親近性を追究した。

芸術論においては、「芸術作品の根源」(1935/36年)でゴッホの靴の絵やギリシャ神殿を例に、芸術作品が世界を開き大地を据えることによって、存在の真理を作品の内に定立する出来事であると論じた。

後世への影響

ハイデガーの思想は、20世紀後半の哲学に計り知れない影響を及ぼした。サルトルの実存主義、ガダマーの哲学的解釈学、デリダの脱構築、レヴィナスの他者論、アーレントの政治哲学など、多くの哲学的立場がハイデガーとの対決を通じて形成された。日本においても京都学派がハイデガーの存在論を東洋思想と接合する試みを展開するなど、その影響は東西を問わず広範に及んでいる。形而上学の伝統全体を根底から問い直す彼の試みは、現代哲学の地平を決定的に変容させた。

関連項目