解釈学 - 理解と解釈をめぐる哲学的探究

概要

解釈学(Hermeneutics、ヘルメノイティク)は、テクスト・言語・行為の理解と解釈の本質を探究する哲学的伝統である。その名称は、ギリシャ神話の伝令神ヘルメス(Hermes)に由来し、神々の言葉を人間に伝える「解釈」の営みを象徴する。古代・中世における聖書解釈や法解釈の技法として出発した解釈学は、近代以降、シュライアーマッハーとディルタイによって人文科学の一般的方法論として確立され、20世紀にはハイデガーとガダマーによって存在論的・哲学的な次元へと深化された。

理解(Verstehen)の問題は、認識論の根本的な課題の一つである。自然科学が「説明(Erklären)」を通じて因果法則を発見するのに対し、人文科学は「理解」を通じて意味を把握する。解釈学はこの「理解」の構造と条件を哲学的に反省する営為であり、現代の哲学においても多方面で重要な役割を果たしている。

解釈学の前史

近代解釈学の源泉は、宗教改革期の聖書解釈に遡る。ルターの「聖書のみ(sola scriptura)」の原則は、教会の伝統的権威によらず聖書テクストそのものから意味を汲み取る解釈の必要性を提起した。17世紀から18世紀にかけて、聖書解釈学(hermeneutica sacra)と法解釈学(hermeneutica juris)がそれぞれ独自の発展を遂げた。

フリードリヒ・シュライアーマッハー(1768-1834)は、特殊な領域に限定された解釈技法を「一般解釈学」として統一し、理解の普遍的な理論を構築しようとした。シュライアーマッハーにとって、理解とは著者の心理的過程を追体験することであり、「著者自身よりも著者をよりよく理解すること」が解釈学の理想とされた。

ディルタイの精神科学方法論

ヴィルヘルム・ディルタイ(1833-1911)は、シュライアーマッハーの解釈学を人文科学(精神科学、Geisteswissenschaften)の一般的方法論として発展させた。ディルタイは、自然科学と精神科学の方法論的区別を「説明」と「理解」の対比として定式化した。自然は因果的に「説明」されるが、精神的な生は「理解」される。

ディルタイにとって、理解は「体験(Erlebnis)」に根ざした精神科学固有の認識方法である。理解は体験→表現→理解という循環的な構造を持ち、テクスト・芸術作品・歴史的行為など、人間の精神的な表現の意味を追体験的に把握する。しかし、ディルタイの方法論は客観的な歴史認識の可能性を確保しようとするあまり、理解の歴史性という問題に十分に取り組めなかったという批判も受けた。

ハイデガーの存在論的転回

マルティン・ハイデガーは、解釈学を方法論から存在論の次元に転換させた。『存在と時間』(1927年)において、ハイデガーは理解(Verstehen)を現存在の根本的な存在様態として捉えた。理解は、テクストを解釈する学問的方法としてではなく、世界内存在する人間の存在の仕方そのものである。現存在は自己の存在可能性を投企する仕方で、つねにすでに世界を理解している。

この存在論的な理解概念のもとで、「解釈学的循環」は新たな意義を獲得する。シュライアーマッハー以来、解釈学的循環は全体と部分の相互規定関係として知られていた。全体の意味は部分から構成され、部分の意味は全体の文脈において決まる。ハイデガーは、この循環が方法論的な欠陥ではなく、理解の根源的な構造であることを示した。理解はつねに「先構造(Vorstruktur)」――先把握・先視・先概念――に基づいて遂行され、この前理解の構造が理解の可能性の条件をなす。現象学の方法を通じたこの転回は、解釈学の歴史における最も根本的な革新であった。

ガダマーの哲学的解釈学

ハンス=ゲオルク・ガダマー(1900-2002)は、ハイデガーの存在論的解釈学を継承・発展させ、主著『真理と方法(Wahrheit und Methode)』(1960年)において「哲学的解釈学」を体系的に展開した。同書は、20世紀後半の人文科学の方法論と哲学に決定的な影響を与えた記念碑的著作である。

ガダマーの中心的なテーゼは、理解がつねに歴史的に条件づけられており、解釈者の「先入見(Vorurteil)」から自由になることは不可能であるというものである。啓蒙主義は先入見を理性的認識の障害として退けたが、ガダマーは先入見こそが理解の生産的な条件であると主張する。我々は伝統(Tradition)の中に立ち、伝統が提供する先入見を通じてはじめて理解に到達する。問題は先入見を排除することではなく、正当な先入見と不当な先入見を区別することである。

ガダマーの最も重要な概念が「地平の融合(Horizontverschmelzung)」である。解釈者はそれぞれの歴史的状況に規定された「地平(Horizont)」――見通しうるものの全体――を持っている。テクストもまた固有の歴史的地平を持つ。理解は、解釈者の現在の地平とテクストの歴史的地平とが出会い、融合する出来事として生じる。この融合は、解釈者がテクストの他者性に自らを開き、自己の先入見を問いに付すことによって可能になる。

理解はまた、根本的に「対話」のモデルに基づいて構想される。プラトンの対話篇に範をとりつつ、ガダマーは真の理解が問いと答えの弁証法を通じて生じるものであり、相手の言葉に耳を傾け、自己の前提を問い直す開放性を要求すると論じた。

リクールの解釈学

ポール・リクール(1913-2005)は、ガダマーの解釈学と構造主義的方法論を統合し、独自の「テクストの解釈学」を展開した。リクールは、ガダマーが対話的な理解を重視するあまり、テクストの客観的な分析(構造分析)を軽視していると批判し、「説明」と「理解」を対立させるのではなく弁証法的に結合させることを提唱した。

リクールの解釈学は「理解→説明→理解」という弁証法的な弧をなす。まず素朴な理解が、構造分析による説明を経ることによって、より深い理解へと導かれる。この方法論的統合により、リクールは自然科学と人文科学の二項対立を乗り越えようとした。

後期のリクールは「物語的自己同一性(identité narrative)」の概念を展開した。人間の自己理解は、自己の人生を物語として語ることによって形成される。物語は出来事を時間的に配列し、意味の統一を創り出す。自己のアイデンティティは、固定的な実体ではなく、物語的に構成されるものである。この着想は、倫理学における人格の同一性の問題や、歴史叙述の哲学に重要な貢献をなした。

解釈学と批判理論の論争

ガダマーの哲学的解釈学は、ユルゲン・ハーバーマスとの間で重要な論争を引き起こした。ハーバーマスは、ガダマーが伝統の権威を過度に肯定し、イデオロギー批判の可能性を十分に確保していないと批判した。ヘーゲルやマルクスの批判的伝統に立つハーバーマスは、理解の営みを歪曲する権力関係やイデオロギーの影響を反省的に批判するためには、解釈学を超えた批判的な方法(精神分析やイデオロギー批判の理論)が必要であると主張した。

これに対してガダマーは、批判もまた伝統の内部から行われるものであり、伝統を完全に外部から批判する「アルキメデスの点」は存在しないと応答した。この論争は、理解の普遍性、伝統の権威、批判的反省の可能性をめぐる現代哲学の根本問題を提起するものとして、現在もなお重要な意義を持っている。

関連項目