科学哲学 - 科学的知識の本質と方法をめぐる探究

概要

科学哲学(Philosophy of Science)は、科学的知識の本質、科学的方法の妥当性、科学理論の構造と変化、科学と非科学の境界などを探究する哲学の一分野である。近代科学の成功は、認識論にとって最大の挑戦であり、科学的知識がなぜ、そしていかにして可能であるのかという問いは、20世紀の哲学において中心的な位置を占めてきた。

科学哲学の問いは古くからあり、アリストテレスの学問論、フランシス・ベーコンの帰納法、カントの先験的哲学にまで遡りうるが、科学哲学が独立した哲学分野として確立されたのは20世紀のことである。論理実証主義、ポパーの批判的合理主義、クーンのパラダイム論は、科学哲学の三つの主要な潮流を形成し、それぞれが科学的知識の根本的な性格をめぐる重要な洞察を提供した。

論理実証主義の科学観

1920年代にウィーンで結成されたウィーン学団は、論理実証主義に基づく科学哲学を展開した。カルナップ、シュリック、ノイラートらは、科学こそが知識の模範であり、哲学の課題は科学の論理的分析に尽きると主張した。

論理実証主義の中心的原理は「検証原理」である。ある命題が有意味であるためには、原理的に経験的に検証可能でなければならない。この基準に照らせば、「絶対精神は自己を実現する」のような形而上学的命題は事実について何も述べていない疑似命題であり、科学から排除されるべきとされた。

しかし検証原理自体にも深刻な問題が提起された。第一に、検証原理自身は経験的に検証可能ではなく、自らの基準で自らを無意味と宣告してしまう自己論駁の問題がある。第二に、科学法則のような全称命題は有限回の観察では完全に検証できないという帰納の問題がある。これらの困難は、論理実証主義を内部から弱体化させた。

ポパーの反証主義

カール・ポパー(1902-1994)は、論理実証主義の検証原理を批判し、「反証可能性(falsifiability)」を科学と非科学の境界設定の基準として提唱した。科学的理論の本質は、経験的に検証されうることではなく、経験的に反証されうることにあるとポパーは論じた。「すべての白鳥は白い」という命題は、一羽の黒い白鳥の発見によって反証されうる。この反証可能性こそが、科学的理論を形而上学的・疑似科学的主張から区別する基準(境界設定基準、demarcation criterion)である。

ポパーの科学方法論は「推測と反駁(conjectures and refutations)」の方法として定式化される。科学者はまず大胆な推測(仮説)を提出し、次にその仮説を厳密にテストしようとする。テストに生き残った仮説は暫定的に「確証(corroboration)」されるが、最終的に証明されることはない。科学的知識は本質的に暫定的・可謬的なものであり、常に反証の可能性に開かれている。

ポパーはこの基準を用いて、マルクス主義やフロイトの精神分析を疑似科学として批判した。これらの理論は、いかなる事態をも自らの枠組みの中に取り込んでしまい、原理的に反証不可能であるがゆえに科学ではないとされた。一方、アインシュタインの相対性理論は、エディントンの日食観測による検証に際して反証のリスクを引き受けており、まさに科学的理論の模範であるとポパーは評価した。

クーンのパラダイム論

トーマス・クーン(1922-1996)の『科学革命の構造(The Structure of Scientific Revolutions)』(1962年)は、科学哲学のみならず人文社会科学全般に多大な影響を与えた画期的著作である。クーンは、科学の歴史を累積的な知識の蓄積としてではなく、「パラダイム」の不連続的な交替として描いた。

パラダイムとは、ある科学者共同体が共有する理論的枠組み、実験方法、問題設定の様式、模範的な問題解決の実例を含む包括的な概念である。「通常科学(normal science)」の期間において、科学者はパラダイムの枠内で「パズル解き(puzzle-solving)」として研究を遂行する。

しかし、通常科学の中でパラダイムでは説明できない「変則(anomaly)」が蓄積すると、科学は「危機」の状態に入り、やがて従来のパラダイムに代わる新しいパラダイムが登場する。これがクーンの言う「科学革命」であり、コペルニクスからニュートンへ、ニュートンからアインシュタインへの転換がその典型例とされる。

クーンの理論で最も論争的な概念が「通約不可能性(incommensurability)」である。異なるパラダイムに属する理論は、共通の基盤に基づいて直接比較することができないとクーンは論じた。パラダイム転換の前後で、科学者は文字通り「異なる世界に住んでいる」のであり、パラダイム選択は純粋に論理的な議論だけでは決定されない。この主張は、科学的合理性と客観性に関する激しい論争を引き起こした。

ラカトシュとファイヤアーベント

イムレ・ラカトシュ(1922-1974)は、ポパーとクーンの間を架橋する「科学的研究プログラムの方法論」を提唱した。ラカトシュによれば、科学の単位は個別の理論ではなく、「堅い核」(反証から保護される中核的仮定)と「防御帯」(修正可能な補助仮説の帯)から成る「研究プログラム」である。研究プログラムが新たな事実の予測に成功し続ける限り「前進的」であり、後退的になったとき他のプログラムに取って代わられる。

ポール・ファイヤアーベント(1924-1994)は、『方法への挑戦(Against Method)』(1975年)において、普遍的な科学的方法など存在しないとする「認識論的アナーキズム」を主張した。科学史を精査すれば、あらゆる方法論的規則は過去の科学の発展を阻害したであろうケースが見出せるとし、「なんでもあり(anything goes)」が唯一妥当な方法論的原理であると挑発的に論じた。

科学的実在論論争

科学哲学における最も持続的な論争の一つが、科学的実在論と反実在論の対立である。科学的実在論は、成熟した科学理論が言及する理論的存在者(電子、クォーク、遺伝子など)が実在するとし、科学的知識は世界のあり方についての近似的に真な記述を提供すると主張する。「奇跡論法」は、科学の経験的成功が奇跡でないならば、科学理論が少なくとも近似的に真であると仮定するのが最善の説明であるとする実在論の有力な議論である。

これに対して反実在論は多様な形態をとる。ファン・フラーセンの構成的経験主義は、科学の目的は真理の発見ではなく「経験的妥当性(empirical adequacy)」の達成であると主張する。科学理論は観察可能な現象を正確に記述すれば十分であり、観察不可能な理論的存在者の実在にコミットする必要はないとされる。

現代科学哲学の展開

現代の科学哲学は、論理学・認識論・形而上学と密接に関わりながら、多様な方向に展開している。ベイズ主義的確証理論は、科学的推論を確率論的に再構成する。科学的説明の理論は、何が科学的説明として成功するかの基準を探究する。個別科学の哲学(物理学の哲学、生物学の哲学、社会科学の哲学)は、それぞれの科学に固有の概念的・方法論的問題に取り組んでいる。

関連項目