バークリー - 主観的観念論と存在は知覚されること
生涯
ジョージ・バークリー(George Berkeley, 1685年 - 1753年)は、アイルランドのキルケニー近郊に生まれた哲学者・聖職者である。1700年にダブリンのトリニティ・カレッジに入学し、1707年にフェロー(研究員)に選出された。この時期にすでに主著の構想を練り始め、1709年に『視覚新論』、1710年に『人知原理論』、1713年に『ハイラスとフィロヌスの三つの対話』を相次いで発表した。驚くべきことに、これらの主要著作はすべて20代の若さで執筆されたものである。
1720年代にはアメリカ大陸にキリスト教宣教のための大学を設立する計画に情熱を注ぎ、1728年にロードアイランドに渡ったが、イギリス政府からの資金援助が実現せず、1731年に帰国した。1734年にアイルランドのクロイン教区の主教に任命され、以後晩年までその職にあった。晩年は『シリス』(1744年)を著してタール水の医療効果と新プラトン主義的な形而上学を論じた。1753年にオックスフォードで67歳にて没した。カリフォルニア大学バークレー校の名称は彼に因んで名づけられている。
主観的観念論の基本原理
バークリーの哲学は「存在するとは知覚されることである(Esse est percipi)」という命題に集約される。この主観的観念論(subjective idealism)は、ロックの経験論を徹底した帰結として展開された。ロックは感覚経験を知識の源泉としつつも、経験の背後に物質的実体が存在すると想定した。バークリーはこの物質的実体の想定を不要かつ不整合であると批判した。
バークリーの論証は次のように進む。我々が知覚するのはつねに観念であり、観念は精神のうちにのみ存在する。したがって、我々が「物体」と呼んでいるものは、実際には感覚的観念の束にほかならない。たとえばリンゴとは、特定の色・形・味・匂い・触感という感覚的観念の集合であり、これらの観念を離れた「物質的実体」なるものは知覚も想像もできない。知覚されない物質を想定することは、空虚な抽象であり、無意味な言語の濫用である。
ロックの第一性質・第二性質の批判
バークリーの観念論は、ロックの第一性質と第二性質の区別に対する鋭い批判から出発している。ロックは色・音・味などの第二性質は主観的であるが、大きさ・形状・運動などの第一性質は物体そのものに属する客観的性質であるとした。バークリーはこの区別が維持不可能であることを論じた。
大きさや形状も知覚者の状態によって変化する。同じ物体が近くでは大きく遠くでは小さく見え、水に浸した棒は曲がって見える。第一性質が主観的条件に依存する点で第二性質と同様であるならば、両者を区別する根拠は失われる。すべての性質が等しく知覚に依存するならば、知覚から独立した物質的実体を想定する理由はなくなる。こうしてバークリーは、ロックの経験論を内在的に推し進めることで、形而上学的唯物論を根底から覆した。
精神と神の役割
バークリーは物質的実体を否定したが、精神的実体すなわち心の存在は肯定した。世界は精神と観念のみから成り、観念は精神によって知覚されることで存在する。しかしここで問題が生じる。私が知覚していないとき、物体は存在しなくなるのか。庭のリンゴの木は、誰も見ていないときに消滅するのか。
バークリーの答えは神の精神への訴えである。個々の人間精神が知覚していないときでも、神の精神がすべての観念を恒常的に知覚している。物体の継続的な存在は、神の不断の知覚によって保証される。したがってバークリーにとって、自然界の秩序と法則性は神の意志の表現であり、自然科学は神の精神に内在する観念の規則性を研究する学問にほかならない。バークリーの観念論は、無神論と唯物論を論駁してキリスト教信仰を哲学的に擁護するという宗教的動機を強く帯びていた。
抽象観念の批判
バークリーの哲学のもう一つの重要な柱は、ロックの抽象観念理論に対する批判である。ロックは、我々が「三角形一般」や「人間一般」といった抽象的一般観念を形成できると論じた。バークリーはこれに反論し、我々が実際に心に思い浮かべることができるのは、常に特定の大きさ・色・形を持った個別的な三角形であり、あらゆる特殊性を剥ぎ取った「三角形一般」なるものを表象することは不可能であると主張した。
一般的な語が機能するのは、特定の観念が同種の他のすべての個別的観念の代表として用いられるからであり、特殊性を欠いた抽象観念が存在するからではない。この抽象観念批判は、バークリーの非物質主義の論証において重要な役割を果たすとともに、後のヒュームの哲学にも大きな影響を与えた。
視覚新論
1709年に発表された『視覚新論(An Essay Towards a New Theory of Vision)』は、バークリーの最初の主要著作であり、知覚の哲学における先駆的業績である。バークリーはこの著作において、視覚と触覚は異なる種類の観念を提供し、我々が視覚によって距離・大きさ・位置を知覚するのは、視覚的観念と触覚的観念の間の経験的連合によるものであると論じた。
視覚そのものは二次元的な色の配列のみを与え、三次元的な空間認識は触覚経験との習慣的な結びつきによって成立する。この議論は、空間知覚が生得的ではなく経験的に獲得されるという認識論的主張を含み、後の知覚心理学に多大な影響を及ぼした。
主要著作
- 『視覚新論』(1709年) — 視覚的距離知覚の経験的基盤を論じた知覚論の先駆的著作。
- 『人知原理論』(1710年) — 主観的観念論の体系的展開。物質的実体の否定と非物質主義を論証する主著。
- 『ハイラスとフィロヌスの三つの対話』(1713年) — 対話篇形式で観念論を平易に論じた著作。
- 『アルシフロン』(1732年) — 自由思想家に対してキリスト教信仰を弁護する対話篇。
- 『シリス』(1744年) — タール水の効用から出発して新プラトン主義的な存在論を展開する晩年の著作。
後世への影響
バークリーの主観的観念論は、発表当初から「常識に反する」として多くの批判を浴びたが、西洋哲学史における認識論的転回の重要な一歩であった。ヒュームはバークリーの議論を継承して精神的実体をも批判し、より徹底した経験論を展開した。カントはバークリーの観念論を「独断的観念論」として批判しつつも、現象と物自体の区別においてバークリーの問題提起を引き受けた。現代の現象主義や感覚与件理論にも、バークリーの観念論の遺産を見ることができる。