経験論 - イギリス経験論の系譜と感覚経験の哲学
概要
経験論(Empiricism)は、17世紀から18世紀にかけて主にイギリスで展開された哲学的潮流であり、知識の根本的な源泉を理性的直観ではなく感覚経験に求める立場である。「イギリス経験論」とも呼ばれ、フランシス・ベーコンを先駆者とし、ロック、バークリー、ヒュームを主要な代表者とする。大陸で展開された合理論との対立は近世哲学の基本構図をなし、この対立はカントの批判哲学によって総合されることになる。
経験論の中心的な主張は以下の三点に要約される。第一に、すべての知識は究極的には感覚経験に由来する。第二に、人間の精神には経験に先立つ生得的な観念や原理は存在しない。第三に、経験を超えた形而上学的実在についての確実な知識は原理的に不可能である。
歴史的背景と先駆
経験論の知的源泉は古代ギリシャ哲学にまで遡る。アリストテレスは「魂のうちには、はじめ何もない」と述べ、すべての認識が感覚経験から始まることを主張した。アリストテレスの経験主義的方法論は、観察と分類に基づく生物学的研究に如実に表れている。中世スコラ哲学においても、トマス・アクィナスはアリストテレスに倣って「知性のうちには、先に感覚のうちになかったものは何もない」という原則を採用した。
近世経験論の直接的な先駆者はフランシス・ベーコンである。ベーコンは中世スコラ哲学の演繹的方法を批判し、観察と実験に基づく帰納的方法を学問の基礎として提唱した。また「四つのイドラ」の教説によって人間の認識を曇らせる偏見を分析し、経験的認識の障害を除去する方法論を展開した。ベーコンの実験的方法への信頼と学問の実用性への志向は、以後のイギリス経験論の精神的基盤となった。
ロックと経験論の体系化
ロックは『人間悟性論』(1689年)において、経験論を初めて体系的な認識論として確立した。ロックの出発点は、合理論者が主張した生得観念の全面的否定である。人間の心は生まれたとき「白紙(タブラ・ラサ)」の状態にあり、経験がそこに文字を書き込むことで観念が形成される。
ロックによれば、観念の源泉は二つある。第一は外的対象の知覚である「感覚(sensation)」、第二は自己の精神活動の内省である「反省(reflection)」である。すべての複合観念は、これらの源泉から得られた単純観念の結合・比較・抽象化によって形成される。ロックは知識の範囲が経験によって制限されることを認めつつも、経験の範囲内では確実な知識が可能であるという穏健な立場を維持した。
ロックの経験論の重要な特徴は、物質的実体の存在を依然として認める点にある。我々は物体の性質を経験するが、性質の基体として物質的実体が存在するとロックは想定した。この想定は、後のバークリーとヒュームによって批判的に検討されることになる。
バークリーの観念論的展開
バークリーはロックの経験論を内在的に推し進め、物質的実体の概念を全面的に否定した。ロックが物体の第一性質は客観的であるとしたのに対し、バークリーは第一性質もまた知覚に依存すると論じ、知覚から独立した物質的実体の想定を不要として退けた。「存在するとは知覚されることである(Esse est percipi)」——バークリーのこの命題は、経験論を観念論へと転化させた画期的な一歩であった。
バークリーの議論は、経験論の原則を徹底した帰結である。我々が知覚するのはつねに観念であり、観念を超えた物質的実体は経験の対象ではない。したがって、経験のみを知識の源泉とするならば、物質的実体の存在を主張する根拠はない。バークリーはこの観念論によって唯物論と無神論を論駁し、世界の存在を神の知覚に基礎づけようとした。
ヒュームの徹底的経験論
ヒュームは経験論を最も徹底的に推し進め、ロックやバークリーが残した形而上学的前提をも批判的に解体した。ヒュームの根本原則は、すべての観念は印象に由来するというものであり、対応する印象を持たない観念は意味を欠くものとして退けられる。
この原則を因果関係に適用すると、因果的「必然性」に対応する印象は見出されない。我々が経験するのは事象の恒常的連接のみであり、因果的必然性の観念は反復経験に基づく心の習慣的期待にすぎない。同様に、自我の同一性についても、内省によって見出されるのは個別的知覚の流れのみであり、知覚の背後に持続する実体的自我の印象は見出されない。
ヒュームの徹底的経験論は、認識論における懐疑論的帰結を導いた。帰納法の合理的正当化が不可能であるという「帰納問題」は、科学的知識の基礎をめぐる根本的な哲学的問題として、現代に至るまで議論が続いている。
経験論の認識論的特徴
経験論に共通する認識論的特徴をいくつか挙げることができる。第一に、知識の源泉を感覚経験に限定する「経験主義的原則」である。この原則は、経験を超えた対象(神・魂・物自体など)についての形而上学的知識に対して懐疑的な態度をもたらす。
第二に、観念の分析という方法論である。ロック、バークリー、ヒュームはいずれも、複合的な概念をより単純な構成要素に分解し、その起源を経験に遡って追跡するという分析的方法を用いた。この方法は、経験に還元できない概念を虚構として排除する批判的機能を持つ。
第三に、形而上学に対する慎重ないし批判的な態度である。経験論者たちは、経験を超えた実在についての壮大な体系構築に対して懐疑的であり、知識の範囲を経験の範囲内に制限しようとした。ヒュームが『人間知性研究』の末尾で「抽象的な量や数についての推論も、事実と存在についての経験的推論も含まないいかなる著作も、それは詭弁と幻想以外の何ものも含まないのだから、火に投じてしまえ」と述べたのは、この立場の最も激烈な表現である。
経験論と科学の発展
経験論は近代科学の発展と密接に結びついている。ベーコンの帰納的方法論、ロックのニュートン自然哲学との親和性、ヒュームの因果性の分析は、いずれも科学的方法と科学的知識の哲学的基礎づけに関わるものであった。経験論が強調する観察・実験・経験的検証の重要性は、近代科学の方法論的基盤を形成した。
特にニュートンの自然哲学は、経験論の理想を体現するものとして同時代に受け止められた。ニュートンの「仮説を作らず(Hypotheses non fingo)」という方法論的宣言は、観察された現象から法則を帰納的に導出するという経験論的方法の実践であった。ロックはニュートンと親交があり、自然認識における経験的方法の模範としてニュートン物理学を高く評価した。
カントによる総合と経験論の遺産
カントは合理論と経験論の双方の限界を指摘しつつ、両者の統合を試みた。カントによれば、経験は認識の「素材」を提供するが、その素材を秩序づける「形式」(空間・時間・カテゴリー)は主観の側にア・プリオリに備わっている。経験論者が主張した経験的内容の不可欠性と、合理論者が主張した認識の先天的形式の不可欠性が、批判哲学において統合された。
経験論の遺産は、近代哲学以降においてきわめて大きい。19世紀のジョン・スチュアート・ミルの帰納的論理学、20世紀初頭の論理実証主義、プラグマティズム、そして現代の自然主義的認識論に至るまで、経験を知識の根本的な源泉と見なす思想は哲学の主要な潮流であり続けている。分析哲学の伝統における言語分析と概念明晰化の方法もまた、ヒューム的な経験論の精神を継承するものである。