ジョン・ロック - 経験論と社会契約論の哲学者
生涯
ジョン・ロック(John Locke, 1632年 - 1704年)は、イングランド南西部サマセット州リントンに生まれた哲学者・政治思想家である。父は清教徒革命で議会派の騎兵隊長を務めた法律家であった。1652年にオックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジに入学し、スコラ哲学に不満を感じながらも医学・自然科学に関心を深めた。ロバート・ボイルやトマス・シデナムとの交流が、経験的方法への信頼を培った。
1667年、初代シャフツベリ伯アンソニー・アシュリー・クーパーの侍医兼顧問となり、政治の世界に深く関わるようになった。シャフツベリ伯が政治的失脚に追い込まれると、ロックもオランダに亡命し(1683年 - 1689年)、この期間に主要著作の執筆を完成させた。1688年の名誉革命後にイングランドに帰国し、1689年に『人間悟性論』と『統治二論』を相次いで公刊した。晩年はエセックスのオーツにて過ごし、1704年に72歳で没した。
タブラ・ラサと生得観念の否定
ロックの認識論の出発点は、デカルトら合理論者が主張した生得観念の全面的な否定にある。『人間悟性論』第一巻において、ロックは論理的原理や道徳的原理が人間に生まれながらに備わっているという説を徹底的に批判した。もし生得観念が存在するなら、すべての人間がそれを認識しているはずだが、子供や知的障害者にそのような認識は見られない。文化や民族によって道徳観念が大きく異なる事実も、生得観念説の反証となる。
ロックによれば、人間の心は生まれたとき「白紙(tabula rasa)」の状態にあり、そこに経験が書き込まれることで観念が形成される。すべての知識の源泉は経験であり、経験には外的対象の感覚的知覚である「感覚(sensation)」と、自己の精神活動の内省である「反省(reflection)」の二つがある。この経験論の基本原則は、後のバークリーやヒュームによって継承・発展された。
観念の理論
ロックは観念を単純観念と複合観念に分類した。単純観念は経験から直接に得られる分析不可能な認識の単位であり、色・音・味・匂いなどの感覚的観念と、思考・意志・記憶などの反省的観念がある。精神は単純観念を受動的に受け取るが、複合観念の形成においては能動的に働く。複合観念は、単純観念の結合・比較・抽象化によって形成され、様態・実体・関係の三種に分類される。
さらにロックは物体の性質を第一性質と第二性質に区別した。第一性質(大きさ・形状・運動・数など)は物体そのものに属する客観的性質であり、我々の観念はそれに類似している。第二性質(色・音・味・匂い・温度など)は物体が我々の感覚器官に及ぼす力であり、我々の観念は物体そのものの性質には類似していない。この区別はデカルトやガリレイの機械論的自然観を認識論的に定式化したものであるが、バークリーはこの区別そのものを批判して主観的観念論へと進んだ。
人間悟性論
『人間悟性論(An Essay Concerning Human Understanding)』(1689年)は、ロックの認識論の主著であり、近世哲学における最も影響力のある著作の一つである。全四巻から成り、第一巻で生得観念の否定、第二巻で観念の起源と分類、第三巻で言語の哲学、第四巻で知識の本性と範囲を論じている。
ロックはこの著作において、人間の知性(understanding)の能力と限界を画定することを目的とした。知識は観念間の一致・不一致の知覚として定義され、直観的知識・論証的知識・感覚的知識の三種に分けられる。ロックは知識の範囲が限定されていることを率直に認めつつも、実践的な生活において知識が不十分な領域では「蓋然性(probability)」に基づく判断で十分であると論じた。この知的謙虚さは、啓蒙思想の寛容の精神に通じるものである。
統治二論と社会契約
『統治二論(Two Treatises of Government)』(1689年)は、ロックの政治哲学の主著であり、近代自由主義と立憲政治の理論的基礎を築いた記念碑的著作である。第一論文ではロバート・フィルマーの王権神授説を論駁し、第二論文で独自の政治理論を展開した。
ロックはホッブズと同様に自然状態から出発するが、その描写は大きく異なる。ロックにとって自然状態は「万人の万人に対する闘争」ではなく、自然法に支配された自由で平等な状態である。人間は自然状態において、生命・自由・財産に対する自然権を有する。しかし自然状態では自然権の保障が不安定であるため、人々は社会契約によって政治社会を形成し、自然権の保護を政府に委託する。
政府の権力は人民の信託(trust)に基づくものであり、政府が人民の権利を侵害した場合、人民には政府に抵抗し、これを交替させる権利(抵抗権・革命権)がある。この思想は1688年の名誉革命を正当化するとともに、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも多大な影響を与えた。
宗教的寛容と教育論
ロックは『寛容についての書簡』(1689年)において、国家と教会の分離および信仰の自由を主張した。国家の目的は市民的利益の保護にあり、魂の救済は各人の内面的問題であって国家の管轄外である。この宗教的寛容の理念は、政教分離の原則の理論的基礎となった。
また『教育に関する考察』(1693年)において、子供の教育における経験と習慣の重要性を論じ、タブラ・ラサの認識論を教育理論に応用した。ロックの教育論は、ルソーの『エミール』に影響を与え、近代教育学の先駆となった。
主要著作
- 『人間悟性論』(1689年) — 認識論の主著。生得観念の否定、観念の起源と分類、知識の本性を体系的に論じる。
- 『統治二論』(1689年) — 政治哲学の主著。自然権と社会契約に基づく立憲政治の理論を展開。
- 『寛容についての書簡』(1689年) — 宗教的寛容と政教分離を論じる。
- 『教育に関する考察』(1693年) — 経験主義的教育論を展開する。
- 『キリスト教の合理性』(1695年) — キリスト教信仰と理性の調和を論じる。
後世への影響
ロックの思想は、認識論と政治哲学の双方において近代世界の形成に決定的な影響を与えた。認識論においては、バークリーとヒュームがロックの経験論を批判的に継承してイギリス経験論の伝統を完成させた。政治哲学においては、モンテスキューの権力分立論、ルソーの社会契約論、アメリカ建国の父たちの思想に直接的な影響を及ぼした。ロックは近代自由主義の創始者として、今日なお政治思想における最も重要な哲学者の一人である。