啓蒙時代の美学 - バウムガルテンからカントの崇高論へ

概要

啓蒙時代の美学は、18世紀において独立した哲学的学問分野として成立し、美・趣味・崇高・芸術をめぐる体系的な哲学的考察として発展した。バウムガルテンによる「美学(Aesthetica)」の命名と学問的基礎づけに始まり、カントの『判断力批判』における美的判断力の超越論的分析に至るこの時代の美学は、古代以来の美と芸術に関する哲学的伝統を近代的に刷新し、以後の芸術哲学の基盤を形成した。

啓蒙時代以前、美と芸術に関する考察はプラトンのイデア論アリストテレスの『詩学』に代表される古代ギリシャの伝統に根ざし、中世を通じて主に神学的枠組みの中で展開されてきた。18世紀において、感性的認識と美的経験の独自性が哲学的に承認されたことは、理性偏重の合理主義的哲学に対する重要な補完であった。

バウムガルテンと美学の創設

アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten, 1714年 - 1762年)は、ライプニッツ=ヴォルフ学派に属するドイツの哲学者であり、「美学(Aesthetica)」という学問分野の名付け親にして創設者である。1750年に公刊された主著『美学(Aesthetica)』において、バウムガルテンは美学をギリシャ語の「アイステーシス(aisthesis, 感覚・知覚)」に由来する「感性的認識の学」として定義した。

ライプニッツ=ヴォルフ学派の認識論においては、感性的認識は知性的認識の不明瞭な段階として低く評価されていた。バウムガルテンの革新は、感性的認識に独自の完全性——すなわち美——を認めた点にある。感性的認識は知性的認識に還元されるべき不完全な段階ではなく、知性的認識とは異なる独自の完全性(perfectio)を達成しうる。美とはこの感性的認識の完全性にほかならない。

バウムガルテンは美を「感性的認識そのものの完全性」と定義し、美学を論理学と並ぶ独立した哲学的学問として位置づけた。論理学が知性的認識の規則を探究するように、美学は感性的認識の規則を探究する。この学問的構想は、美的経験の哲学的考察に独立した領域と方法論を与え、以後の美学史の出発点となった。

イギリス経験論と趣味の哲学

啓蒙時代の美学は、ドイツの合理主義的伝統だけでなく、イギリス経験論の伝統からも重要な貢献を受けた。ジョセフ・アディソンは『スペクテイター』紙上の「想像力の快楽について」(1712年)において、美的快楽の心理学的分析を試み、新奇・壮大・美という三つの快楽の源泉を区別した。

シャフツベリ伯爵(第3代)は美的感覚と道徳的感覚の内的な関連を論じ、美と善の統一を主張した。フランシス・ハチスンはシャフツベリの思想を発展させ、「内的感覚(internal sense)」の理論を展開した。美の知覚は外的感覚とは異なる独自の内的感覚によるものであり、美的判断は理性的推論ではなく直覚的な感受に基づくとした。

エドマンド・バーク(Edmund Burke, 1729年 - 1797年)の『崇高と美の観念の起源に関する哲学的探究(A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful)』(1757年)は、崇高(sublime)の概念を美学の中心的主題として確立した画期的な著作である。バークは美と崇高を明確に区別し、美が小ささ・滑らかさ・繊細さから生じる愛の対象であるのに対し、崇高は巨大さ・暗さ・無限性から生じる恐怖に根ざした快の対象であると論じた。崇高の根源は自己保存の本能に関わる恐怖であり、安全な距離から恐怖の対象を観照するとき、崇高の快が生じる。バークのこの分析は、カントの崇高論に直接的な影響を与えた。

カントの美学

カントの『判断力批判(Kritik der Urteilskraft)』(1790年)は、啓蒙時代の美学の頂点をなす著作であり、近代美学の基礎を確立した。カントは美的判断(趣味判断)の超越論的条件を分析し、美の判断が備える四つの契機を明らかにした。

第一の契機(質)として、美の判断は「無関心的な満足(interesseloses Wohlgefallen)」である。美しいものに対する快は、対象の存在に対する利害関心から解放された純粋に観照的な快である。善いもの(道徳的善や有用性)に対する満足が対象の存在への関心を含むのに対し、美的満足は対象の概念や目的から独立している。

第二の契機(量)として、美の判断は主観的でありながら普遍的妥当性を要求する。「この薔薇は美しい」と判断するとき、我々は自分個人の嗜好を述べるのではなく、万人の同意を期待する。この普遍性は概念に基づく客観的普遍性ではなく、すべての判断者に共通する認識能力(構想力と悟性の自由な遊び)に基づく主観的普遍性である。

第三の契機(関係)として、美の対象は「目的なき合目的性」を備えている。美しい対象はあたかも何らかの目的に適っているかのような形式を持つが、特定の目的に還元されるものではない。第四の契機(様相)として、美の判断は必然性を伴う。美の判断が要求する同意は、「共通感覚(sensus communis)」——すべての人間に共通する美的判断能力——に基礎づけられる。

崇高の概念

カントは崇高(das Erhabene)を美とは根本的に異なる美的経験として分析し、数学的崇高と力学的崇高を区別した。

数学的崇高は、空間的・数量的な巨大さの経験に関わる。星空や大洋のように感覚的把握を超えた巨大なものに直面するとき、構想力はその全体を一つの直観にまとめることに失敗する。しかしこの失敗を通じて、理性の超感性的な能力——感覚を超えた無限を思考する能力——が自覚される。崇高の快は、感性的能力の限界の自覚と、理性の超越性の発見が結びついた複合的な感情である。

力学的崇高は、自然の圧倒的な力の経験に関わる。嵐・雷・火山噴火・荒海など、自然の力が人間の物理的な抵抗力をはるかに超えるとき、我々は自らの無力を痛感する。しかし同時に、道徳的な使命を担う理性的存在者としての自己の尊厳が自覚され、自然の威力を超えた精神的な崇高さが経験される。カントにとって崇高とは、自然そのものの属性ではなく、自然との対峙を通じて人間の形而上学的な使命が啓示される経験であった。

シラーの美的教育論

フリードリヒ・シラー(Friedrich Schiller, 1759年 - 1805年)は、カントの美学を独自に発展させ、美的教育の理論を展開した。1795年に公刊された『人間の美的教育について(Über die ästhetische Erziehung des Menschen)』において、シラーは近代社会における人間性の分裂——感性と理性、自然と自由、個人と国家の乖離——を診断し、その治癒の方途を美的教育に求めた。

シラーによれば、人間には素材衝動(Stofftrieb, 感性への衝動)と形式衝動(Formtrieb, 理性への衝動)が備わっており、両者の対立は遊戯衝動(Spieltrieb)において止揚される。遊戯衝動の対象が「生きた形姿(lebende Gestalt)」すなわち美である。美的経験において、人間は感性と理性の調和を達成し、全人的な自由に到達する。シラーの美的教育論は、芸術と倫理学の関係をめぐるドイツ観念論の美学の重要な展開であった。

啓蒙美学の遺産

啓蒙時代の美学は、美と芸術に関する哲学的考察を独立した学問として確立し、以後の美学・芸術哲学の基盤を形成した。バウムガルテンによる美学の創設は、感性的認識の哲学的尊厳を承認する認識論的革新であった。カントの超越論的美学は、美と崇高の経験を人間の認識能力の構造から解明し、主観的でありながら普遍的な美的判断の可能性を論証した。

この遺産は、シェリングの芸術哲学、ヘーゲルの美学講義、ショーペンハウアーの美的観照の理論を経て、20世紀のハイデガーの芸術論やアドルノの美学理論に至るまで、西洋美学の全体にわたって受け継がれている。

関連項目