ディドロ - 百科全書と唯物論の啓蒙思想家

生涯

ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot, 1713年 - 1784年)は、フランス東部シャンパーニュ地方のラングルに刃物職人の子として生まれた。パリに出てルイ=ル=グラン学院およびダルクール学院で学び、神学の道を断念した後、約10年間にわたる困窮した自由な知的生活を送った。この間に英語・イタリア語を修め、翻訳や家庭教師で生計を立てながら、哲学・数学・自然科学を独学した。

1746年、出版商ル・ブルトンからチェンバーズの『サイクロペディア』の仏訳の依頼を受けたが、ディドロはこれを単なる翻訳ではなく、人間知識の総合的体系化を目指す独自の大事業へと構想を拡大した。これが『百科全書(Encyclopédie)』である。1749年には『盲人に関する手紙』を発表して唯物論的な認識論を展開したが、その無神論的傾向のためにヴァンセンヌ城に約3か月間投獄された。

以後も宗教的・政治的弾圧と闘いながら、約25年にわたって百科全書の編纂を主導し続けた。晩年はエカチェリーナ2世の招きでロシアを訪問した。1784年、パリにて70歳で没した。

百科全書

『百科全書、あるいは科学・芸術・技術の合理的辞典(Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers)』は、1751年から1772年にかけて刊行された全28巻(本文17巻・図版11巻)の大著であり、啓蒙時代を象徴する知的事業である。ディドロが主幹編集者、数学者ダランベールが共同編集者を務め、ヴォルテール、モンテスキュー、ルソーら当代一流の知識人が寄稿した。

百科全書の目的は、人間知識の全体を体系的に整理し、理性の光によって迷信と偏見を打破することにあった。ディドロは、知識を記憶(歴史)・理性(哲学)・想像力(詩学・美術)の三つに分類するフランシス・ベーコンの枠組みを採用しつつ、独自の体系化を試みた。特筆すべきは、伝統的に蔑視されてきた手工業の技術を学問と同等の尊厳をもって扱い、詳細な図版によって技術的知識を記録したことである。

百科全書はたびたび出版禁止処分を受け、イエズス会や宮廷からの弾圧に晒されたが、ディドロは困難に屈することなく事業を完遂した。百科全書は知識の民主化と世俗化を推進し、旧体制の知的権威を根底から揺るがす思想的武器となった。

唯物論哲学

ディドロの哲学的立場は、当初の理神論から次第に唯物論へと発展した。1749年の『盲人に関する手紙』では、生まれつき盲目の人間の認識を分析し、感覚経験と認識の関係を論じた。感覚が認識の唯一の源泉であるならば、神の存在を理性のみによって証明することは困難であるとの結論に至り、事実上の無神論を示唆した。この著作はロックの経験論をさらに急進的に推し進めたものと位置づけられる。

1769年に執筆された対話篇『ダランベールの夢』は、ディドロの唯物論哲学の最も体系的な展開である。本作でディドロは、物質にはそれ自体に感受性(sensibilité)が内在するという仮説を提示し、精神現象を物質的過程として説明する試みを展開した。生命は物質の自己組織化の結果であり、人間の思考や意識も物質の高度な組織化から生じるとされた。

ディドロの唯物論は、デカルトの心身二元論を否定し、精神と物質の一元的な理解を追究した点で、近代唯物論の重要な先駆とされる。ダーウィンの進化論や現代の心の哲学における物理主義にも通じる洞察を含んでいる。

演劇論

ディドロは美学、特に演劇理論においても重要な貢献をなした。1757年の『私生児についての対話』および1758年の『演劇論』において、ディドロは古典主義的な悲劇と喜劇の二分法を批判し、両者の中間に位置する「市民劇(drame bourgeois)」という新しいジャンルを提唱した。

市民劇は、王侯貴族ではなく一般市民の日常生活を題材とし、道徳的教化と自然な感情の表現を目的とする。アリストテレスの『詩学』以来の伝統的な劇の分類を根本的に刷新するこの提案は、18世紀後半以降のヨーロッパ演劇に大きな影響を与え、近代写実主義劇の先駆となった。

さらに1773年の『俳優に関する逆説』において、ディドロは俳優の演技に関する重要な美学的考察を展開した。優れた俳優は感情に溺れるのではなく、冷静な理性と観察によって感情を再現するという逆説的な主張は、スタニスラフスキーからブレヒトに至る近代演劇理論の先駆的議論となった。

美学思想

ディドロの美学は演劇論にとどまらず、絵画批評にも及んだ。1759年から1781年にかけて『サロン評』を執筆し、近代美術批評の嚆矢となった。ディドロは美の基準を抽象的な規則ではなく、自然の真実性と道徳的感動に求めた。芸術は自然を模倣するだけではなく、自然の本質的な真理を表現すべきであるという彼の主張は、古典主義的美学から近代的な芸術観への移行を示している。

後世への影響

ディドロの哲学的影響は、生前よりも死後に顕著となった。多くの重要な著作が没後に初めて公刊されたためである。百科全書の事業は、知識の体系化と民主化という啓蒙主義の理想の最も具体的な実現であり、その精神は近代の学術と教育に受け継がれている。唯物論哲学はマルクスやエンゲルスに継承され、演劇論と美学は近代芸術理論の基盤を形成した。ディドロは、形而上学認識論・美学・社会思想を横断する、啓蒙時代で最も多才な知識人の一人であった。

関連項目