ドイツ観念論入門 - カントからヘーゲルへの系譜

概要

ドイツ観念論(Deutscher Idealismus)は、カントの批判哲学を出発点として、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルに至る約50年間(1781年 - 1831年)にわたるドイツ哲学の運動であり、西洋哲学史上最も壮大な体系的哲学の展開の一つである。その根本問題は、カントが残した哲学的課題——特に物自体の問題と、理論理性・実践理性・判断力の統一の問題——をいかに解決するかにあった。

ドイツ観念論の思想家たちは、カントの超越論的観念論を継承しつつも、物自体という認識不可能な残余を除去し、精神(主観)と自然(客観)の根源的統一を論証しようとした。この試みは、合理論経験論の対立を超えて、存在と思考、自然と自由、有限と無限の究極的な統一を追究する壮大な形而上学的企てであった。

カントの批判哲学と問題提起

ドイツ観念論の出発点は、カントの『純粋理性批判』(1781年)が打ち立てた超越論的観念論にある。カントは、人間の認識が現象(Erscheinung)の領域に限定され、物自体(Ding an sich)は認識不可能であると主張した。この主張は、デカルト以来の合理主義的形而上学に対する根本的批判であると同時に、後続の思想家たちに重大な問題を提起した。

カント哲学が残した最も論争的な問題は以下の三点である。第一に、物自体が認識不可能でありながら現象の原因として措定されるという矛盾をいかに解消するか。第二に、『純粋理性批判』の理論理性と『実践理性批判』の実践理性の二元性をいかに統一するか。第三に、主観(自我)と客観(世界)の関係をいかに根拠づけるか。ドイツ観念論の歴史は、これらの問題に対する回答の試みの連鎖として理解される。

フィヒテの知識学

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte, 1762年 - 1814年)は、カントの批判哲学から物自体の概念を一掃し、自我(Ich)を哲学の絶対的な出発点とする「知識学(Wissenschaftslehre)」を構想した。フィヒテによれば、哲学の第一原理は「自我は自我を定立する(Das Ich setzt sich selbst)」という自己措定の行為(Tathandlung)である。

フィヒテの体系は三つの根本命題によって展開される。第一命題「自我は自我を定立する」は、自我の自己意識的な自己産出を表現する。第二命題「自我は自我に非我を対置する」は、自我が自らの活動の制限として世界(非我)を措定することを示す。第三命題「自我は自我の内に可分的な非我を可分的な自我に対置する」は、自我と非我の相互制限の弁証法的過程を展開する。

フィヒテの哲学は、認識の対象が主観の構成活動に依存するというカントの洞察を徹底化し、世界全体を自我の活動から導出しようとする主観的観念論である。この立場は自由と道徳的行為の哲学的基礎づけに資するものであったが、自然の独立性を十分に説明できないという批判を招いた。

シェリングの自然哲学と同一哲学

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling, 1775年 - 1854年)は、フィヒテの主観的観念論の限界を克服するために、自然哲学(Naturphilosophie)と超越論的観念論の統合を試みた。若くして天才的な哲学者として頭角を現したシェリングは、その長い生涯を通じて哲学的立場を何度も転換させた。

初期のシェリングは、フィヒテが自我から非我(自然)を導出したのに対し、自然そのものに精神と同等の独立性と能動性を認める自然哲学を展開した。自然は「目に見える精神」であり、精神は「目に見えない自然」である。自然は盲目的な機械ではなく、無意識的な精神の活動として、物質から有機体へ、さらに意識的精神へと発展する自己展開の過程である。

1800年前後の「同一哲学」の時期には、精神と自然、主観と客観の根源的同一性を「絶対者」において把握しようとした。絶対者は主観と客観の分化に先立つ根源的な無差別点であり、芸術的直観がこの絶対者の把握に最も近いとされた。この芸術哲学的な洞察は、ロマン主義の思想と深い親和性を持っていた。

ヘーゲルの絶対的観念論

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年 - 1831年)は、ドイツ観念論の完成者とされる。テュービンゲン大学でシェリングと同窓であったヘーゲルは、独自の弁証法的方法によって、カント以来の問題に包括的な解決を試みた。

ヘーゲルの主著『精神現象学(Phänomenologie des Geistes)』(1807年)は、意識が感覚的確信から絶対知に至るまでの弁証法的な発展過程を叙述する。意識のあらゆる形態は内在的な矛盾を含み、その矛盾を通じてより高次の形態へと止揚(Aufhebung)される。この過程の全体が精神の自己認識の歩みである。

ヘーゲルの論理学は、アリストテレス以来の形式論理学を超えて、存在・本質・概念の弁証法的展開を体系化する。有名な「有(Sein)→無(Nichts)→成(Werden)」の弁証法は、最も抽象的な存在規定から出発して、概念の内在的な運動によって現実の全体を展開しようとする試みである。

弁証法の原理

ドイツ観念論を貫く方法論的原理が弁証法(Dialektik)である。フィヒテの正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)の三段階は、しばしばドイツ観念論の弁証法の定式とされるが、ヘーゲル自身はこの図式を用いることを好まなかった。ヘーゲルにおいて弁証法とは、あらゆる有限な規定が自らの内に矛盾を含み、その矛盾を通じて自己を否定し、より豊かな規定へと発展する思考と存在の運動である。

ヘーゲルの弁証法の核心は止揚(Aufhebung)の概念にある。止揚とは、否定しつつ保存し、より高い次元へと引き上げるという三重の意味を持つ。矛盾は思考の挫折ではなく、むしろ発展の原動力である。この弁証法の原理は、形而上学のみならず、歴史哲学・法哲学・美学・宗教哲学にわたるヘーゲル体系全体を支えている。

ドイツ観念論の遺産

ドイツ観念論は、西洋哲学の歴史においてプラトン・アリストテレス以来の最も壮大な哲学的体系化の試みであった。その遺産は多方面に及ぶ。マルクスはヘーゲルの弁証法を唯物論的に「転倒」させて弁証法的唯物論を創始した。キルケゴールは個人の実存を体系に回収するヘーゲル哲学を批判して実存主義の先駆となった。英米の分析哲学はドイツ観念論の形而上学を批判する中から成立した。

ドイツ観念論はまた、認識論と存在論の統合、自由と必然性の弁証法、歴史における理性の展開という問題群を提起し、これらは現代哲学においてもなお中心的な課題であり続けている。

関連項目