モンテスキュー - 法の精神と三権分立の思想家

生涯

シャルル・ド・セコンダ、ラ・ブレード男爵およびモンテスキュー男爵(Charles de Secondat, Baron de La Brède et de Montesquieu, 1689年 - 1755年)は、フランス南西部ボルドー近郊のラ・ブレード城に名門法服貴族の子として生まれた。ボルドーのカトリック・オラトリオ会の学院で学んだ後、パリで法学を修め、1714年にボルドー高等法院の評定官に就任、1716年には伯父の死去により高等法院院長の職を継承した。

1721年、匿名で出版した書簡体小説『ペルシア人の手紙』がパリの知識社会で大きな反響を呼び、文学的名声を確立した。この作品は、フランスを訪れた二人のペルシア人の目を通して、フランス社会の慣習・政治・宗教を風刺するものであった。1728年から約3年間にわたるヨーロッパ各国への遊学、特にイギリスの約2年間の滞在は、モンテスキューの政治思想の形成に決定的な影響を与えた。帰国後、ラ・ブレードの領地に隠棲し、約20年にわたる研究の成果として1748年に『法の精神』を公刊した。1755年、パリにて65歳で没した。

法の精神

1748年に公刊された『法の精神(De l’esprit des lois)』は、モンテスキューの主著であり、近代政治学・法学・社会学の基礎を築いた記念碑的著作である。全31編から成るこの大著において、モンテスキューは法を単なる主権者の命令としてではなく、「事物の本性から生じる必然的な諸関係」として定義した。

モンテスキューの方法論的革新は、法を気候・地理・宗教・慣習・商業・人口など多様な社会的要因との関連において考察する比較法学的・社会学的アプローチにある。法は孤立した規範ではなく、それぞれの社会の風土・歴史・精神と有機的に結びついた総体として理解されなければならない。この方法論は、アリストテレスの政治学における比較研究の伝統を継承しつつ、近代的な社会科学の方法へと発展させたものである。

政体論

モンテスキューは政体を共和政・君主政・専制政の三類型に分類し、それぞれの政体を動かす原理を明らかにした。共和政の原理は徳(vertu)であり、市民が公共の善のために私的利益を犠牲にする精神である。君主政の原理は名誉(honneur)であり、各身分が自己の特権と名声を追求する競争心である。専制政の原理は恐怖(crainte)であり、支配者への畏怖によって服従が維持される。

ホッブズが主権の絶対性を論じたのに対し、モンテスキューは権力の制限こそが自由の条件であると主張した。自由とは法律が許すすべてのことを行う権利であり、法に基づく支配の下でのみ実現される。専制政は人間の自由と尊厳を否定するものとして、モンテスキューの体系において一貫して批判の対象とされた。

三権分立

モンテスキューの最も有名な教説が三権分立(séparation des pouvoirs)の理論である。『法の精神』第11編第6章「イギリスの国制について」において、モンテスキューはイギリスの政治制度の分析に基づいて権力分立の原理を定式化した。

モンテスキューは国家権力を立法権・執行権(行政権)・裁判権(司法権)の三つに区分し、これらが同一の人物や機関に集中するとき、自由は存在しえないと論じた。「権力を持つ者はすべて、それを濫用する傾向がある。権力は権力によって阻止されなければならない」という有名な命題は、権力分立の理論的根拠を簡潔に示している。

ロックがすでに立法権と執行権の分離を論じていたが、モンテスキューはこれに司法権を独立した第三権力として加え、三権の相互抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)の体系を構想した。この理論は、アメリカ合衆国憲法の起草者たちに直接的な影響を与え、近代立憲主義の基本原理として世界各国の憲法に取り入れられた。

比較法学

モンテスキューの学問的方法は、近代比較法学の嚆矢とされる。モンテスキューはローマ法・イギリス法・フランス法のみならず、中国・日本・インド・ペルシアなど非西洋世界の法制度にも広く目を向け、法と社会の関係を比較文化的な視点から分析した。

特に気候と法の関係に関するモンテスキューの議論は有名である。寒冷な気候は人間を活動的で勇敢にし、自由な政治制度を生み出す傾向があるのに対し、温暖な気候は怠惰と服従をもたらし、専制政治を生みやすいという仮説を提示した。この気候決定論は後世に多くの批判を受けたが、社会的・文化的条件と法制度の関連を実証的に探究するという方法論的革新は、デュルケームやウェーバーに至る社会学の伝統の先駆となった。

自由論

モンテスキューの自由の概念は、近代自由主義の基礎をなす。モンテスキューは、自由を「自分がなすべきことをなし、自分がなすべきでないことを強制されないこと」と定義した。自由は法の支配の下でのみ存在し、法による権力の制限が自由の条件である。この消極的自由の概念は、後のバンジャマン・コンスタンやジョン・スチュアート・ミルの自由論に直接的な影響を与えた。

モンテスキューの思想は、プラトンの理想国家論のような規範的アプローチとは対照的に、歴史的・経験的な観察に基づいて政治制度を分析する実証的な方法を確立した。この点でモンテスキューは、倫理学と政治学を結びつけつつも、独自の社会科学的方法論を切り開いた思想家であった。

後世への影響

モンテスキューの三権分立論は、近代立憲主義の最も基本的な原理として、アメリカ合衆国憲法、フランス人権宣言、さらには日本国憲法を含む世界各国の憲法に反映されている。フランス人権宣言第16条の「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法を持つものではない」という条文は、モンテスキューの思想の直接的な表現である。

社会科学の方法論においては、法と社会の関係を比較文化的・経験的に分析するモンテスキューのアプローチは、トクヴィル、デュルケーム、マックス・ウェーバーらに受け継がれ、近代社会学の形成に寄与した。

関連項目