アンセルムス - 存在論的証明と信仰の知的探究の先駆者

生涯

カンタベリーのアンセルムス(Anselmus Cantuariensis, 1033年 - 1109年)は、ブルゴーニュ地方のアオスタに生まれた神学者・哲学者である。1060年にノルマンディーのベック修道院に入り、当時の院長ランフランクスのもとで学んだ。ランフランクスの後任として修道院学校長、次いで修道院長に就任し、卓越した学識と人格によって名声を得た。

1093年にカンタベリー大司教に就任したが、イングランド王ウィリアム2世およびヘンリー1世との間で叙任権闘争を繰り広げ、二度にわたって追放・亡命を経験した。この困難な時期にあっても学問的活動を継続し、重要な著作を残した。1109年にカンタベリーで没し、1720年に教会博士に列せられた。アンセルムスは「スコラ哲学の父」と称され、理性的な神学的探究の方法を確立した先駆者として評価される。

存在論的証明

アンセルムスの最も有名な哲学的業績は、『プロスロギオン』(Proslogion, 1077年 - 1078年)に展開された神の存在の存在論的証明(ontological argument)である。この論証は、経験的事実からではなく、神の概念そのものから神の存在を導出する先験的な論証として、哲学史上独特の地位を占める。

論証の骨子は以下の通りである。神は「それ以上に偉大なものが考えられ得ないもの(id quo nihil maius cogitari possit)」と定義される。このような存在は、少なくとも知性の内には存在する。なぜなら、愚か者でさえこの定義を理解するからである。しかし、もしこの存在が知性の内にのみ存在し、実在しないとすれば、知性の内にも実在においても存在するものの方がより偉大であることになる。これは「それ以上に偉大なものが考えられ得ないもの」が「それ以上に偉大なものが考えられうる」という矛盾を生じさせる。ゆえに、それ以上に偉大なものが考えられ得ないものは、必然的に実在する。

この論証に対して、同時代のマルムーティエ修道院の修道士ガウニロが「愚か者の弁護」を著して反論した。ガウニロは、同様の論法で「考えうる最も完全な島」の実在を証明できることになるが、それは明らかに不合理であると批判した。アンセルムスはこれに応答し、この論証は最高の存在者にのみ適用可能であると主張した。

モノロギオン ── 先行する神の存在証明

『プロスロギオン』に先立つ『モノロギオン』(Monologion, 1076年頃)において、アンセルムスはアウグスティヌスの伝統に基づく複数の神の存在証明を展開した。善の段階的差異は最高善の存在を要請し、存在の段階的差異は最高の存在者を要請する。これらの後験的論証は、後にトマス・アクィナスの五つの道の第四の道に発展的に継承された。

信仰と理性

アンセルムスの思想を貫く根本的な方法論は、「信仰は理解を求める(fides quaerens intellectum)」という原則に集約される。これはアウグスティヌスの「理解するために信じる(crede ut intelligas)」を継承するものであり、信仰が理性的探究の出発点であることを意味する。信仰の内容を理性的に理解し論証することは、信仰を損なうのではなく、むしろ信仰を深めるものである。

アンセルムスはこの原則に基づき、形而上学的な議論によって神の存在のみならず、神の属性(全能、全知、善性、永遠性など)をも理性的に論証しようと試みた。この方法論は、啓示の内容を理性的に探究するスコラ哲学の基本的姿勢を確立したものとして、重要な意義を持つ。

真理論と自由意志論

アンセルムスは『真理について』(De Veritate)において、真理を「正しさ(rectitudo)」として定義する独自の真理論を展開した。真理とは、ものが「あるべきようにある」ことであり、この正しさの究極的な根拠は神にある。命題の真理、意志の真理、行為の真理、存在の真理はすべて、この「正しさ」の概念によって統一的に理解される。

また『自由意志の調和について』では、倫理学上の重要問題として、神の恩寵・予定と人間の自由意志の両立可能性を論じた。自由意志を「正しさを正しさのために保持する能力」と定義し、真の自由は善を選ぶ能力にこそあると主張した。

満足説

アンセルムスの神学的著作として重要なのが、『なぜ神は人間となったのか』(Cur Deus Homo, 1098年頃)に展開された贖罪論(満足説)である。人間の罪は神の名誉に対する無限の侮辱であり、有限な人間にはこの侮辱を償う能力がない。したがって、神自身が人間となり、無限の価値を持つ犠牲によって神の名誉を回復する必要があった。この理論は中世神学における贖罪論の標準的な定式となった。

後世への影響

存在論的証明は、哲学史を通じて繰り返し議論されてきた。デカルトは『省察』において類似の論証を展開し、カントは『純粋理性批判』において「存在は述語ではない」としてこの種の論証を体系的に批判した。しかし20世紀には、様相論理を用いたプランティンガによる存在論的証明の現代的再定式化がなされるなど、この論証の哲学的意義は現在も議論が続いている。アンセルムスの認識論的方法論と形而上学的探究は、中世スコラ哲学の発展に不可欠な基盤を提供した。

関連項目