イスラーム哲学 - アヴィセンナとアヴェロエスのアリストテレス受容

イスラーム哲学の概要

イスラーム哲学(ファルサファ, falsafa)は、8世紀から12世紀にかけてイスラーム世界で発展した哲学的伝統であり、古代ギリシャ哲学、とりわけアリストテレスプラトンの思想をイスラームの知的文脈において受容・発展させたものである。ヨーロッパがギリシャ哲学の大部分を喪失していた時代に、イスラーム世界はこれらの著作を保存・翻訳・註釈し、独自の哲学的展開を加えた。このイスラーム哲学の成果は、12世紀以降のラテン世界への翻訳を通じて、中世ヨーロッパのスコラ哲学に決定的な影響を与えた。

イスラーム哲学の発展は、アッバース朝カリフ、アル・マアムーン(在位813年 - 833年)がバグダードに設立した「知恵の館(バイト・アル・ヒクマ)」における組織的な翻訳運動に多くを負っている。ギリシャ語の哲学・科学文献がシリア語を介して、あるいは直接にアラビア語に翻訳され、イスラーム知識人の間に広く流通した。

アル・キンディーとアル・ファーラービー

イスラーム哲学の草創期を代表するのが、アル・キンディー(801年頃 - 873年頃)とアル・ファーラービー(872年頃 - 950年頃)である。

アル・キンディーは「アラブ人の哲学者」と称され、イスラーム哲学の創始者とされる。ギリシャ哲学とイスラームの啓示の調和を試み、哲学的探究はイスラームの信仰と矛盾しないことを主張した。彼の存在論は新プラトン主義的な色彩を帯びており、一者からの流出による存在の階層的秩序を論じた。

アル・ファーラービーは「第二の師」(アリストテレスに次ぐ哲学者)と尊称され、プラトンの政治哲学とアリストテレスの論理学を統合した体系を構築した。『有徳な国家の住民の意見の原理』において、プラトンの哲人王の理想をイスラームの預言者の概念と結びつけ、預言者=哲学者が統治する理想国家論を展開した。また、アル・ファーラービーはアリストテレスとプラトンの思想の調和を試み、『二人の賢者プラトンとアリストテレスの見解の一致について』を著した。

アヴィセンナ(イブン・スィーナー)

アヴィセンナ(イブン・スィーナー, Ibn Sīnā, 980年 - 1037年)は、中央アジアのブハラ近郊に生まれた、イスラーム哲学の最高峰の一人である。医学と哲学の両分野で比類なき業績を残し、その主著『医学典範(カーヌーン・フィー・アル・ティッブ)』は17世紀までヨーロッパの医学教育の標準的教科書であった。哲学上の主著は『治癒の書(キターブ・アル・シファー)』であり、論理学・自然学・数学・形而上学を包括する百科全書的著作である。

アヴィセンナの形而上学的業績の中で最も影響力のあるものが、本質(マーヒーヤ)と存在(ウジュード)の区別の理論である。すべての被造物において、その本質(それが何であるか)と存在(それが存在すること)は区別される。本質はそれ自体としては存在を含まず、存在は外的な原因、究極的には「必然的存在者(ワージブ・アル・ウジュード)」すなわち神から与えられる。神においてのみ、本質と存在は同一であり、神は自己の本質によって必然的に存在する。この本質と存在の区別は、トマス・アクィナスの存在論に直接的な影響を与えた。

アヴィセンナの認識論においては、能動知性(アクル・アル・ファッアール)の理論が重要である。人間の知性は、天上の能動知性からの「照明」を受けることによって知性的認識(普遍的概念の把握)に到達する。この理論は、アリストテレスの能動知性の解釈を新プラトン主義的な流出論と結合したものである。

アヴェロエス(イブン・ルシュド)

アヴェロエス(イブン・ルシュド, Ibn Rushd, 1126年 - 1198年)は、アンダルシアのコルドバに生まれたイスラーム哲学の最後にして最大のアリストテレス註釈家であり、ラテン世界では「註釈家(Commentator)」と尊称された。法学者・医学者としても活動し、晩年にはアルモハド朝のカリフの侍医を務めた。

アヴェロエスの最大の業績は、アリストテレスの主要著作に対する三重の註釈(大註釈・中註釈・小註釈)である。アヴェロエスは、新プラトン主義的な解釈を排し、アリストテレスの真意に忠実な解釈を追求した。このアリストテレス解釈はラテン語に翻訳され、13世紀のパリ大学を中心にラテン・アヴェロエス主義と呼ばれる思想運動を引き起こした。

アヴェロエスの教説の中で最も論争的であったのが、知性単一論(単一知性説)である。これは、能動知性のみならず可能知性(受動知性)も全人類に共通する単一の実体であり、個々の人間に固有の知性は存在しないという主張である。この教説は個人の魂の不死性を否定する帰結をもたらすとして、トマス・アクィナスの『知性の単一性について(De Unitate Intellectus)』において徹底的に批判された。

アヴェロエスはまた、哲学と宗教の関係について独自の立場を展開した。『決定的論考(ファスル・アル・マカール)』において、哲学的探究はイスラーム法によって義務づけられているとさえ主張し、哲学と啓示は同一の真理の異なる表現形式であると論じた。

アル・ガザーリーとの論争

イスラーム世界における哲学の地位をめぐって、決定的な意義を持ったのがアル・ガザーリー(1058年 - 1111年)の哲学批判である。アル・ガザーリーは『哲学者たちの矛盾(タハーフト・アル・ファラースィファ)』において、アル・ファーラービーとアヴィセンナの哲学的教説を20の論点にわたって批判し、そのうち3つ(世界の永遠性、神は個物を知らないとする説、身体の復活の否定)を異端として断罪した。

これに対してアヴェロエスは、『矛盾の矛盾(タハーフト・アル・タハーフト)』を著してアル・ガザーリーの批判に逐条的に反論した。しかし、歴史的にはアル・ガザーリーの哲学批判がイスラーム世界における哲学的探究の衰退に寄与したとされ、イスラーム哲学の中心はその後、神秘主義的な方向へと転換していった。

ラテン世界への影響

イスラーム哲学のラテン世界への伝達は、主にスペインのトレドを中心とする翻訳運動を通じて行われた。12世紀のクレモナのジェラルドやトレドのドミニクスらの翻訳者によって、アリストテレスの著作とそれに対するイスラーム哲学者の註釈がラテン語に翻訳された。

この翻訳運動は、スコラ哲学に革命的な影響を与えた。アヴィセンナの本質と存在の区別はトマスの存在論の基盤となり、アヴェロエスのアリストテレス註釈はラテン世界におけるアリストテレス理解の標準的典拠となった。同時に、マイモニデスを含むユダヤ哲学者もイスラーム哲学の強い影響下にあり、ユダヤ哲学を通じた間接的影響も無視できない。イスラーム哲学は、古代ギリシャの知的遺産を保存し、独自の哲学的発展を加えた上で中世ヨーロッパに伝達するという、文明史的に不可欠な役割を果たした。

関連項目