コント - 実証主義と社会学を創設した近代思想の先駆者

生涯

オーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte, 1798年 - 1857年)は、フランス南部モンペリエに生まれた哲学者・社会学者である。カトリックの王党派の家庭に育ったが、早くから家庭の保守的な価値観に反発し、共和主義と科学的精神を信奉した。1814年にパリのエコール・ポリテクニク(理工科学校)に入学し、数学と自然科学の厳密な訓練を受けた。

1817年から社会改革思想家サン=シモンの秘書兼協力者となり、約7年間にわたって協働した。この経験はコントの社会科学構想に大きな影響を与えたが、思想的見解の相違から1824年に決裂した。1826年に「実証哲学講義」と題した私的講義を開始したが、直後に精神的危機に陥り中断を余儀なくされた。回復後、1830年から1842年にかけて主著『実証哲学講義』全6巻を順次刊行した。

経済的には生涯にわたって困窮し、エコール・ポリテクニクの試験官や教師としての不安定な収入に頼った。1844年にクロティルド・ド・ヴォーとの短い恋愛を経験し、彼女の翌年の早世はコントに深い影響を与え、後期の「人類教」構想の動機の一つとなった。1857年にパリで死去した。

三段階の法則

コントの哲学の根幹を成すのが「三段階の法則(loi des trois états)」である。人間精神の発展および社会の歴史は、三つの段階を必然的に経過するとコントは主張した。

第一段階は「神学的段階(état théologique)」であり、自然現象の原因を超自然的な存在(神々、精霊)に帰する段階である。この段階はさらにフェティシズム(物神崇拝)、多神教、一神教へと発展する。第二段階は「形而上学的段階(état métaphysique)」であり、超自然的存在に代わって抽象的な実体や力(「自然」「本質」「原因」など)によって現象を説明する段階である。第三段階は「実証的段階(état positif)」であり、現象の究極的原因や本質を問うことを断念し、観察と実験に基づいて現象間の法則的関係を発見することに専念する段階である。

この法則は、形而上学的思弁を克服して科学的方法に基づく知識体系を確立しようとするコントの根本的な企図を表現するものであり、認識論における実証主義的転回の宣言であった。

科学の階層と社会学の創設

コントは諸科学を一般性と単純性の度合いに従って階層的に分類した。最も一般的で単純な科学である数学を基底に置き、その上に天文学、物理学、化学、生物学を配置し、頂点に社会学(sociologie)を置いた。各科学はより下位の科学に依存しつつも、独自の法則と方法を持つ。この「科学の階層(hiérarchie des sciences)」は、歴史的にも各科学がこの順序で実証的段階に到達したとされた。

コントが「社会学」という用語を造語し(当初は「社会物理学」と呼んでいた)、社会現象の科学的研究を独立した学問として確立したことは、彼の最大の功績の一つである。社会学は「社会静学(statique sociale)」と「社会動学(dynamique sociale)」の二部門から成る。社会静学は社会の構造と秩序の条件を研究し、社会動学は社会の発展と進歩の法則を研究する。三段階の法則は社会動学の根本法則にほかならない。

実証主義の方法論

コントの実証主義(positivisme)は、科学的知識の方法と範囲に関する哲学的立場である。実証主義によれば、真正な知識は観察可能な事実とそれらの間の法則的関係に限定される。現象の背後にある究極的原因や形而上学的本質を探究することは、科学の課題ではない。

コントは「観察するためには理論が必要である」と述べ、素朴な経験主義を退けた。理論は観察を導き、事実を意味ある関係のもとに組織するが、理論の妥当性はつねに観察的事実によって検証されなければならない。この方法論的実証主義は、論理学的実証主義(論理実証主義)の先駆として位置づけられるが、コント自身は数理論理学を重視しておらず、両者の関係は複雑である。

コントの実証主義は、科学的方法こそが社会問題の解決の鍵であるという信念と結びついていた。フランス革命以後の社会的混乱を克服するためには、社会についての実証的な科学的知識に基づいて社会を合理的に再組織する必要があるとコントは確信していた。

人類教

コントの後期思想において顕著なのが「人類教(Religion de l’Humanité)」の構想である。『実証政治学体系』(1851-54年)において展開されたこの構想は、伝統的な宗教に代わって「人類(Humanité)」を崇拝の対象とする世俗的宗教の創設を目指すものであった。

人類教は、カトリック教会の組織と典礼を模して精緻に設計された。実証主義的聖職者が「大祭司」を頂点とする聖職位階を形成し、人類の偉大な恩人たち(科学者、哲学者、芸術家)を「聖人」として祀る暦が作成された。コントは「秩序と進歩」をモットーに掲げ、利他主義(altruisme、コント自身の造語)を最高の道徳的原理とした。

この人類教構想は、J.S.ミルをはじめとする同時代の支持者からも批判を受けた。ミルはコントの前期の実証主義を高く評価しつつも、後期の人類教構想を理性の自律を損なう精神的専制であるとして退けた。しかし人類教はブラジルなど一部の地域で実際に信徒を獲得し、ブラジル国旗の「秩序と進歩(Ordem e Progresso)」というモットーはコントに由来する。

主要著作

  • 『実証哲学講義(Cours de philosophie positive)』(1830-42年、全6巻) — 実証主義の体系的叙述。三段階の法則と科学の階層を展開した主著。
  • 『実証精神論(Discours sur l’esprit positif)』(1844年) — 実証主義の要約的叙述。
  • 『実証政治学体系(Système de politique positive)』(1851-54年、全4巻) — 人類教と実証主義的社会構想を展開した後期の主著。
  • 『実証的カテキズム(Catéchisme positiviste)』(1852年) — 人類教の教義問答。

後世への影響

コントの実証主義は、19世紀後半から20世紀にかけての哲学・科学・社会科学に広範な影響を与えた。社会学の分野では、デュルケームがコントの社会学構想を批判的に継承して近代社会学を確立し、スペンサーは独自の社会進化論を展開した。

哲学においては、論理学的実証主義(ウィーン学派)がコントの実証主義を論理学的に精緻化し、形而上学の排除と科学の統一を追求した。科学哲学の発展においてもコントの問題設定は出発点として重要であり続けている。倫理学においてコントが「利他主義」の概念を創出したことも注目に値する。

ただし、コントの社会有機体説や人類教構想に見られる権威主義的傾向に対する批判も根強く、自由主義的伝統からは個人の自律を脅かすものとして警戒されてきた。現代哲学においてコントの遺産は、科学主義の可能性と限界を考える上での重要な参照点であり続けている。

関連項目