シェリング - 同一哲学と自然哲学で観念論を展開した思想家

生涯

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling, 1775年 - 1854年)は、ヴュルテンベルク公国のレオンベルクに、ルター派の牧師の息子として生まれた。早熟の天才であり、15歳でテュービンゲン大学神学校に入学し、5歳年長のヘーゲルおよびヘルダーリンと同窓生として学んだ。フランス革命の理想に共鳴し、三人で「自由の樹」を植えたという逸話が残されている。

フィヒテの知識学に触発されて早くから哲学的著作を発表し、1798年にわずか23歳でイェーナ大学の員外教授に招聘された。イェーナではフィヒテの後任として講壇に立ち、ゲーテ、シラー、ノヴァーリスらのロマン主義者と交流した。シュレーゲル兄弟の妻であったカロリーネ・シュレーゲルと恋に落ち、後に結婚した。

1803年にヴュルツブルク大学に移り、1806年からミュンヘンのバイエルン学士院会員となった。1841年にはプロイセン国王の招きによりベルリン大学教授に就任し、ヘーゲル哲学を批判する「積極哲学」の講義を行った。聴講者にはキルケゴール、エンゲルス、バクーニンらがいたが、講義は期待に応えるものとはならず、シェリングは失意のうちに沈黙した。1854年にスイスのバート・ラガーツで死去した。

自然哲学

シェリングの自然哲学(Naturphilosophie)は、フィヒテの主観的観念論に対する批判的発展として構想された。フィヒテが自然(非我)を自我の活動の単なる制限として捉えたのに対し、シェリングは自然そのものに固有の生産的活動性を認めた。自然は精神の死せる産物ではなく、精神に向かって発展する「目に見える精神」であり、精神は「目に見えない自然」である。

シェリングの自然哲学は、自然を一つの有機的全体として把握する。無機的自然から有機体へ、そして意識を持つ人間へという段階的な発展の中に、自然の自己組織化と精神への上昇の過程を見る。磁気・電気・化学過程における極性(ポラリテート)と段階的高次化(ポテンツィールング)が自然の根本原理とされた。この有機体的自然観は、アリストテレスの目的論的自然学を近代的な形で復活させたものとも言え、後のドイツ・ロマン主義の自然観と生物学に大きな影響を与えた。

超越論的観念論の体系

『超越論的観念論の体系』(1800年)は、シェリングの初期哲学を集大成した代表作である。カントの超越論的哲学を発展させ、自己意識の発展過程を追跡することで、認識から自然、さらに道徳的行為と芸術に至る精神の活動の全体を体系的に叙述しようとした。

シェリングによれば、哲学には二つの相補的な道がある。自然哲学は自然から出発して精神に至り、超越論的哲学は自我から出発して自然を演繹する。両者は同一の絶対者の異なる方向からの展開であり、最終的には一致しなければならない。この思想が後の同一哲学の基礎となった。超越論的観念論の体系の頂点に位置づけられたのは芸術であり、芸術的天才の産物において、意識的活動と無意識的活動の同一性が客観的に実現されるとされた。

同一哲学

1801年頃からシェリングは「同一哲学(Identitätsphilosophie)」の立場を展開した。『私の哲学体系の叙述』(1801年)において、自然と精神、主観と客観、実在と観念の「絶対的同一性」が哲学の最高原理として宣言された。絶対者はあらゆる対立に先立つ無差別的同一性であり、スピノザの実体概念をフィヒテ的な自我の活動性と統合した立場である。

絶対者は主観でも客観でもなく、両者の絶対的無差別点(Indifferenzpunkt)である。自然と精神は、この絶対的同一性の二つの異なる「ポテンツ(段階)」として展開される。実在的なものの優位する側が自然であり、観念的なものの優位する側が精神である。しかし両者は絶対者の内において根源的に一つであり、この同一性の直観的把握が「知的直観(intellektuelle Anschauung)」である。認識論における主客分裂の問題を絶対者の同一性の立場から解消しようとするこの試みは、ヘーゲルの絶対的観念論の先駆となった。

芸術哲学

シェリングの哲学において芸術は特権的な位置を占める。『芸術の哲学(Philosophie der Kunst)』(1802-03年講義、死後刊行)において、シェリングは芸術を絶対者の有限的な現示として体系的に論じた。芸術は有限の中に無限を表現するものであり、特殊なものの中に普遍を、感性的なものの中に理念を実現する。

芸術は神話と密接に結びついている。神話は民族精神の無意識的な産出であり、芸術はこの神話的素材を意識的に形成する。シェリングは古代ギリシャの神話と芸術を範例とし、ロマン主義の芸術理論に哲学的基礎を与えた。芸術の最高形態として悲劇が位置づけられ、自由と必然の対立が和解に至る場として理解された。この芸術哲学はロマン主義の美学に深い影響を与え、形而上学と美学の統一を目指す壮大な構想であった。

自由論と後期哲学

『人間的自由の本質に関する哲学的探究』(1809年)は、シェリングの思想的転回を示す重要な著作である。ここでシェリングは、悪の起源と人間の自由の問題に正面から取り組んだ。神における暗い根底(Grund)と明るい実存(Existenz)の区別を導入し、悪は神の暗い根底に由来する力が自己を主張することによって生じると論じた。

後期のシェリングは「積極哲学(positive Philosophie)」を構想し、ヘーゲルの体系を含む従来の観念論を「消極哲学(negative Philosophie)」として批判した。消極哲学は理性的な可能性の体系に過ぎず、現実の存在(実存)そのものを把握することができない。積極哲学は啓示と神話の哲学として、存在の事実性と歴史性に即した哲学を目指した。この後期思想は、キルケゴールの実存思想やハイデガーの存在論に影響を与えた。

主要著作

  • 『自我について』(1795年) — フィヒテの知識学を発展させた初期の著作。
  • 『自然哲学の理念について』(1797年) — 自然哲学の構想を提示した初期の主要著作。
  • 『超越論的観念論の体系』(1800年) — 初期哲学の集大成。
  • 『私の哲学体系の叙述』(1801年) — 同一哲学の綱領的著作。
  • 『人間的自由の本質に関する哲学的探究』(1809年) — 悪と自由の問題を論じた転回点的著作。
  • 『世界年代』(未完・死後刊行) — 神と世界の歴史的展開を構想した後期の著作。

後世への影響

シェリングの影響は多方面に及ぶ。自然哲学はドイツ・ロマン主義の自然観に決定的な影響を与え、エルステッドの電磁気学の発見にも間接的に寄与した。芸術哲学はコールリッジを通じてイギリス・ロマン主義にも波及した。ヘーゲルは同一哲学を批判的に継承して絶対的観念論を展開したが、シェリングの後期思想はヘーゲル体系への最も早い批判の一つでもある。20世紀にはハイデガーがシェリングの自由論を高く評価し、ティリッヒの組織神学にもシェリングの影響が認められる。現代哲学における自然の哲学や環境哲学の議論においても、シェリングの有機体的自然観への関心が再び高まっている。

関連項目