功利主義 - 最大多数の最大幸福を追求する倫理学理論

概説

功利主義(Utilitarianism)は、行為の道徳的正しさをその行為がもたらす結果(帰結)における幸福の総量によって判断する倫理学理論である。「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)」の実現を道徳の究極的目的とし、帰結主義(consequentialism)の最も代表的な形態として知られる。

功利主義の思想的源流は古代にまで遡ることができる。古代ギリシャのエピクロスの快楽主義は快楽を善、苦痛を悪とする点で功利主義と共通する基盤を持つ。しかし近代的な意味での功利主義は、18世紀のイギリスにおいてヒュームの道徳感情論やハチソンの道徳哲学を土壌として成立し、ベンサムによって体系的な倫理学・立法論として確立された。以後、J.S.ミル、シジウィック、ヘア、シンガーらによって多様に発展を遂げ、現代倫理学の主要な理論的立場であり続けている。

ベンサムの量的功利主義

功利主義の体系的な創始者として位置づけられるのがジェレミー・ベンサムである。ベンサムは『道徳と立法の原理序説』(1789年)において、人間が快楽と苦痛によって支配されているという経験的事実から出発し、快楽の最大化と苦痛の最小化を行為と立法の究極的基準とした。

ベンサムの功利主義は「量的快楽主義」と呼ばれる。快楽に質的な差異は認められず、強度・持続性・確実性・近接性・多産性・純粋性・範囲という七つの量的基準によって評価される。この快楽計算(felicific calculus)によって、道徳的判断は客観的な計算の問題に還元される。「押しピン遊びは詩と同等の価値がある」というベンサムに帰せられる言葉は、量的快楽主義の特質を端的に示している。

ベンサムの功利主義は、道徳的判断の民主的・平等主義的な性格を持つ。すべての人間の快楽は等しく計算に含まれ、身分や地位による区別はない。「各人は一人として数えられ、何人も一人以上として数えられない」という原則は、功利主義の根本的な平等主義を表現している。

ミルの質的功利主義

J.S.ミルは『功利主義論』(1863年)において、ベンサムの量的功利主義に質的改良を加えた。ミルは快楽に質的差異を認め、知的・道徳的・美的な「高次の快楽」が感覚的・身体的な「低次の快楽」に質的に優越すると主張した。「満足した豚であるよりも不満足な人間である方がよく、満足した愚者であるよりも不満足なソクラテスである方がよい」という有名な一節は、この質的功利主義の立場を象徴する。

ミルの質的功利主義は功利主義の射程を広げ、文化的・精神的な価値を積極的に包摂する理論へと発展させた。しかし同時に、快楽の質的優劣を判定する基準が「有能な判定者」の選好に委ねられるという点で、ベンサム的な客観性と計算可能性を犠牲にしているという批判もある。ミルの功利主義がなおも「功利主義」と呼びうるか否かという理論的問題は、倫理学における重要な論点であり続けている。

行為功利主義と規則功利主義

功利主義の内部における最も重要な理論的区分が、行為功利主義(act utilitarianism)と規則功利主義(rule utilitarianism)の区別である。

行為功利主義は、個々の具体的な行為について、その帰結が最大の幸福をもたらすかどうかを判断する。あらゆる状況において、利用可能な選択肢の中で最大の功利を産出する行為が道徳的に正しいとされる。この立場は理論的に明快であるが、約束を破ることや無実の人間を罰することが幸福を最大化する場合には、それを正当化してしまうという反直観的な帰結を生じる。

規則功利主義は、個々の行為ではなく行為規則を功利性の基準によって評価する。「すべての人がその規則に従った場合に最大の幸福をもたらす規則」に従うことが道徳的に正しいとされる。規則功利主義は、正義や権利の直観を功利主義の枠内で擁護できる利点があるが、規則への従属が硬直的な行為を要求する場合があるという問題を抱える。

シジウィックと古典的功利主義の完成

ヘンリー・シジウィック(1838年 - 1900年)の『倫理学の方法(The Methods of Ethics)』(1874年)は、古典的功利主義の最も精緻な体系化として評価される。シジウィックは倫理学の三つの方法——直覚主義、利己主義、功利主義——を比較検討し、功利主義が最も合理的な倫理学的方法であると論じた。

シジウィックは功利主義の基礎づけにおいて「合理的な仁愛(rational benevolence)」の原理を援用した。自己の善を合理的に追求する利己主義が正当であるならば、すべての人の善を等しく配慮する功利主義もまた合理的に正当化されるというのがその論法である。しかしシジウィックは同時に、利己主義と功利主義の間の「実践理性の二元論(dualism of practical reason)」を解消できないことを認め、この問題を功利主義の解決されざる難題として残した。

選好功利主義と現代的展開

20世紀後半以降の功利主義の展開において重要なのが、選好功利主義(preference utilitarianism)である。快楽や幸福の経験ではなく、個人の選好(preference)の充足を功利の基準とする立場であり、R.M.ヘアやピーター・シンガーによって展開された。

選好功利主義は、幸福の内容を特定の感覚的経験に限定しないため、多様な価値観を尊重しうるという利点がある。シンガーは選好功利主義の立場から動物解放論を展開し、苦痛を感じうるすべての存在者の利益を等しく配慮すべきであると主張した。この議論は、ベンサムの「苦しむことができるか否か」という問いの現代的な展開であり、応用倫理学の重要な領域を開拓した。

現代哲学においては、功利主義はロールズの正義論やノージックのリバタリアニズムとの論争を通じてさらに精緻化され、効果的利他主義の運動やAI倫理の議論においても中心的な役割を果たしている。

功利主義への批判

功利主義に対しては、多くの重要な批判が提起されてきた。第一に、カント的義務論の立場からは、功利主義が個人を全体の幸福のための手段として扱いうるという批判がある。功利を最大化するために無実の人間を犠牲にすることが正当化されるならば、それは個人の尊厳を侵害するものである。

第二に、正義と権利の問題がある。功利主義は分配の公正さを十分に考慮しないという批判であり、少数者の権利が多数者の幸福のために犠牲にされうるという「少数者の犠牲」の問題として提起される。第三に、帰結の予測不可能性の問題がある。行為の帰結を完全に予測することは不可能であり、功利計算の実行可能性には根本的な限界がある。

これらの批判に対して功利主義者は、規則功利主義や間接功利主義(ordinary morality を功利主義的に正当化する立場)などの理論的精緻化によって応答してきた。功利主義と他の倫理学理論との対話は、形而上学的前提や価値論の根本問題にまで及ぶ深い知的営為である。

関連項目