解釈学入門 - シュライエルマッハーからガダマーまで
解釈学とは何か
解釈学(Hermeneutik / Hermeneutics)は、テクスト・言語・行為・文化的産物の理解と解釈の理論および方法論を探究する哲学的学問分野である。「理解とは何か」「正しい解釈はいかにして可能か」「解釈者の前理解は理解をいかに条件づけるか」といった問いを中心に、人間の理解活動の本質と構造を考察する。解釈学の語源はギリシャ神話のヘルメス(神々のメッセージを人間に伝える使者)に由来するとされ、古代から聖書解釈(聖書解釈学)や法解釈(法解釈学)の技法として発展してきた。近代以降、シュライエルマッハー、ディルタイ、ハイデガー、ガダマーの仕事を通じて、解釈学は一般的な哲学理論としての地位を確立した。
シュライエルマッハーの一般解釈学
フリードリヒ・シュライエルマッハー(1768-1834)は、解釈学を個別の学問分野(聖書学・法学・文献学)の技法から、理解一般の理論へと拡張した最初の哲学者である。シュライエルマッハーは、あらゆるテクストの理解に共通する普遍的な方法論を構築しようとした。
シュライエルマッハーの解釈学は、文法的解釈と心理学的(技術的)解釈の二つの契機から成る。文法的解釈は、テクストの言語的意味を言語体系の規則に基づいて解明する方法である。心理学的解釈は、テクストの背後にある著者の思想的個性と創造的過程を追体験(Nacherleben)的に理解する方法である。シュライエルマッハーにとって、解釈の目標は「著者が自己自身を理解した以上に著者を理解すること」であった。
シュライエルマッハーはまた、解釈学的循環の概念を体系化した。テクストの部分を理解するためには全体の理解が必要であり、全体を理解するためには部分の理解が必要であるという循環構造は、理解の本質的特徴である。この循環は悪循環ではなく、部分と全体の間を往復することで理解が深化していく螺旋的な過程として捉えられる。
ディルタイの精神科学的解釈学
ヴィルヘルム・ディルタイ(1833-1911)は、解釈学を精神科学(人文科学、Geisteswissenschaften)の方法論的基礎として発展させた。ディルタイの中心的な問題意識は、自然科学が自然法則による因果的「説明(Erklaren)」を目指すのに対し、精神科学は人間の精神的生の「理解(Verstehen)」を目指すという方法論的区別を基礎づけることにあった。
ディルタイにとって、理解とは生の表現(テクスト・芸術作品・制度・行為)を通じて、それを生み出した精神的生を追体験する行為である。「生は生を理解する」というディルタイのテーゼは、理解が抽象的な知的操作ではなく、理解する者自身の生の経験に根ざした全人格的な営みであることを示している。ディルタイは歴史的意識の問題にも取り組み、すべての人間の精神的産物は特定の歴史的文脈の中で生み出されたものであり、その理解には歴史的文脈の再構成が不可欠であると論じた。この歴史主義的洞察は、認識論の根本問題として、理解の客観性と歴史的制約性の緊張関係を浮き彫りにした。
ハイデガーの存在論的解釈学
ハイデガーは『存在と時間』(1927年)において、解釈学を方法論から存在論へと根本的に転換した。ハイデガーにとって、「理解(Verstehen)」は認識の一方法ではなく、人間存在(現存在)の存在様式そのものである。現存在は常にすでに世界を何らかの仕方で了解しており、この先行的な理解(前理解)の構造から離れた「無前提的な」認識は存在しない。
ハイデガーは、理解の前構造として「先持ち(Vorhabe)」「先見(Vorsicht)」「先把握(Vorgriff)」の三契機を区別した。すべての解釈は、何かをすでに手持ちにし(先持ち)、何かの観点から見(先見)、何かの概念において把握する(先把握)。解釈学的循環は、部分と全体の関係だけでなく、前理解と理解の関係において存在論的に深められた。ハイデガーにとって、重要なのは循環を回避することではなく、「正しい仕方で循環に入ること」である。
この存在論的転換は、解釈学を単なるテクスト解釈の方法論から、人間存在の根本構造を解明する哲学へと変容させた。ハイデガーの解釈学的現象学は、形而上学の伝統との批判的対決としても展開された。
ガダマーの哲学的解釈学
ハンス=ゲオルク・ガダマー(1900-2002)は、主著『真理と方法』(1960年)において、ハイデガーの存在論的解釈学を発展させ、哲学的解釈学を体系的に構築した。ガダマーの中心的テーゼは、理解は方法によって制御可能な認識行為ではなく、伝統への参与という存在論的出来事であるということである。
ガダマーは、啓蒙主義が「偏見(Vorurteil)」を否定的に評価したことを批判し、すべての理解が前もって持っている判断(偏見・先入見)によって条件づけられていることを積極的に評価した。偏見は理解を歪めるものではなく、理解を可能にする生産的な条件である。我々は常に特定の歴史的伝統の中に生きており、その伝統が我々の理解の地平を形成している。
ガダマーの最も重要な概念の一つが「地平融合(Horizontverschmelzung)」である。テクストの理解は、解釈者の現在の地平とテクストの歴史的地平が融合する出来事として生じる。この融合において、両方の地平は変容し、新たな理解が生成される。理解は著者の意図の忠実な再現ではなく、テクストと解釈者の間の対話的な出来事であり、常に新しい意味の生成を伴う。
ガダマーはまた、「作用史的意識(wirkungsgeschichtliches Bewusstsein)」の概念を導入した。テクストは書かれた後も解釈の歴史(作用史)を通じて意味を蓄積し続けており、我々はこの作用史の中に位置づけられている。自らの歴史的制約性を自覚する作用史的意識は、解釈学的反省の核心をなす。
リクールの解釈学
ポール・リクール(1913-2005)は、ガダマーの哲学的解釈学と構造主義の方法論的成果を統合し、テクストの解釈学を独自に展開した。リクールはサルトルの実存主義やフッサールの現象学の影響を受けつつ、物語的同一性(narrative identity)の理論を構築した。リクールにとって、人間の自己理解はテクストの解釈を媒介として実現されるものであり、自己は物語を通じて構成される。
解釈学の現代的意義
解釈学は哲学にとどまらず、法学(法解釈学)、神学(聖書解釈学)、文学理論(受容美学)、社会科学(理解社会学)、教育学など、広範な学問分野の方法論的基盤となっている。ハーバーマスとガダマーの間で展開された「解釈学論争」は、理解と批判、伝統とイデオロギー批判の関係をめぐる重要な論争であった。現代の解釈学は倫理学の領域にも展開され、異文化間の相互理解や他者理解の条件を探究する実践的な哲学としても重要な役割を果たしている。