徳倫理学 - アリストテレスから現代への徳の哲学

概説

徳倫理学(Virtue Ethics)は、「どのような人間であるべきか」という人格の問いを倫理学の中心に据え、行為の規則や帰結ではなく、行為者の徳(アレテー)と性格(人柄)を道徳的評価の基本単位とする倫理学的立場である。徳倫理学は古代ギリシャ哲学、とりわけアリストテレスの倫理学に源流を持ち、20世紀後半に功利主義と義務論に対する第三の選択肢として復興された。

近代倫理学においては、カントの義務論が「何をなすべきか」という行為の問いを、功利主義が「どのような帰結をもたらすべきか」という結果の問いを中心に据えてきた。徳倫理学はこれらの行為中心的アプローチに対して、「どのような人間になるべきか」という行為者中心的アプローチを提示する。道徳的に優れた行為とは、徳のある人格から自然に発する行為であり、外的な規則への従属やその都度の帰結計算によるものではないとされる。

アリストテレスの徳倫理学

徳倫理学の古典的な源泉は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』である。アリストテレスは、人間に固有の善(最高善)をエウダイモニア(幸福・繁栄)と定義し、エウダイモニアは徳(アレテー)に即した魂の活動であると主張した。

アリストテレスは徳を「倫理的徳(エーティケー・アレテー)」と「知性的徳(ディアノエーティケー・アレテー)」に区分した。倫理的徳は勇気・節制・正義・寛厚などの性格的卓越性であり、習慣的な実践を通じて獲得される。知性的徳は学問的知識・技術・実践的知恵(フロネーシス)などの知的卓越性である。

アリストテレスの徳倫理学において特に重要なのが「中庸(メソテース)」の概念である。倫理的徳はそれぞれ、過剰と不足の二つの悪徳の中間に位置する。例えば、勇気は無謀(過剰)と臆病(不足)の中間にあり、寛厚は浪費(過剰)と吝嗇(不足)の中間にある。しかし中庸は単なる算術的中間ではなく、具体的な状況における「適切な度合い」であり、その判断には実践的知恵(フロネーシス)が不可欠である。

ストア派と徳

ストア派は、徳こそが幸福の唯一の条件であるとする徹底した徳倫理学を展開した。ストア派にとって、徳は一つであり分割不可能なものであった。知恵ある人(賢者)はすべての徳を完全に所有し、それ以外の人間はすべて等しく無知であるとする厳格な立場をとった。

ストア派の徳の概念は「自然に従って生きる」という原理と結びついており、理性に基づいて情念(パトス)を制御することが徳の核心とされた。外的な事物(健康・富・名声)は徳に比べて道徳的に無差別であるとされ、内面的な徳のみが真の善であるとする点で、アリストテレスの徳倫理学よりもいっそう厳格な立場であった。

近代における徳の衰退

近世哲学以降、徳倫理学は次第に倫理学の主流から退いていった。この衰退にはいくつかの要因がある。第一に、近代自然科学の発展と世俗化に伴い、アリストテレス的な目的論的自然観が崩壊し、人間の「本性的な目的」に基づく徳の理論が基盤を失った。第二に、カントの義務論が普遍的な道徳法則を行為の基準として確立し、功利主義が帰結の最大化を道徳の原理として提示したことで、行為中心的な倫理学が支配的となった。

しかし20世紀後半、功利主義と義務論のいずれもが十分に人間の道徳的生活を捉えきれないという不満が高まり、徳倫理学は劇的な復興を遂げることになる。

現代の徳倫理学復興

現代における徳倫理学復興の嚆矢となったのは、G.E.M.アンスコムの論文「近代道徳哲学」(1958年)である。アンスコムは、「義務」「当為」「道徳的に正しい」といった概念が、それらを支えていた神の立法者という枠組みが失われた後も無批判に使用されていることを批判し、「徳」「悪徳」「性格」といったアリストテレス的な概念への回帰を提唱した。

アラスデア・マッキンタイアは『美徳なき時代(After Virtue)』(1981年)において、近代の道徳哲学の「啓蒙の企て」の失敗を論じ、徳の概念をアリストテレス的な「実践」「物語的統一としての人生」「伝統」の三重の枠組みにおいて再構築した。マッキンタイアの議論はニーチェのニヒリズム論への応答という側面も持つ。

フィリッパ・フットは『自然的善さ(Natural Goodness)』(2001年)において、徳を生物種に固有の自然的善さ(flourishing)の観点から理論化する新アリストテレス主義的な徳倫理学を展開した。ロザリンド・ハーストハウスは『徳倫理学について(On Virtue Ethics)』(1999年)で、徳倫理学が行為指導的な倫理学理論として功利主義や義務論と同等の実践的能力を持つことを論証した。

徳倫理学への批判

徳倫理学に対してはいくつかの重要な批判が提起されている。第一に「行為指導の問題」であり、徳倫理学は「徳のある人が行うような行為を行え」という循環的な指針しか提供できないのではないかという批判である。第二に「文化相対主義の問題」であり、何が徳であるかは文化や時代によって異なり、普遍的な徳の目録を確定することは困難ではないかという批判がある。第三に「道徳的運の問題」であり、性格の形成が環境や運に大きく左右される以上、徳の有無によって人を道徳的に評価することは公正でないのではないかという問題がある。

これらの批判にもかかわらず、徳倫理学は現代倫理学において功利主義・義務論と並ぶ三大理論の一つとして確固たる地位を占めており、応用倫理学(医療倫理、ビジネス倫理、環境倫理など)への適用も進んでいる。

関連項目